文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

アメリカは「戦犯・正力松太郎」に好意的だった。


アメリカ国立第二公文書館に残っているGHQの「正力松太郎文書」を読み解いていくと、アメリカはかなり早い段階から、正力松太郎に対して好意的だったようだ、と有馬哲夫は書いている。それは、アメリカ側が、読売新聞の社主としての正力松太郎だけではなくて、それ以前に、思想警察として警視庁に勤務し、共産主義者無政府主義者を厳しく取り締まり、弾圧を繰り返してきた正力松太郎の前歴に深い関心を持っていたからだろう。つまり、アメリカが戦後の占領政策を進めていく上で、つまり日本人への洗脳工作を進めていく上で、「使える人材」として正力松太郎を評価していたということだ。したがって、正力松太郎は、戦犯として逮捕されていたが、GHQ諜報部のチャールズ・ウイロビー等の目的は、むしろ、戦犯として起訴することではなく、正力松太郎から日本の共産主義者たちの情報を聞き出すことにあった。そもそも正力松太郎の戦犯容疑とは何だったのだろうか。有馬は、調書資料等から推測して次の五点を挙げている。

①警視庁時代に共産主義者無政府主義者などを弾圧した。
②新聞を用いて三国同盟を支持するプロパガンダを広めた。
真珠湾攻撃の直前に記者に現地に電話取材をさせ、その情報を軍に通知した。
大政翼賛会など戦争遂行に協力したいくつかの団体の設立委員会のメンバーだった。
⑤1943年6月に内閣情報局参与に就任した。(『日本テレビとCIA…発掘された「正力ファイル」』P)

しかし、これら五点の戦犯容疑に関して、取調べに当った諜報部の結論は、「被告に対する告発は戦時中のプロパガンダを誇張したもので、思想的、政治的な性質を帯びており、具体的証拠によって裏付けられたものではない。明らかなのは、被告が政府の厳しい統制に屈せざるを得ない大新聞の社長であったという事実だけである。」(「正力松太郎調書」)というものであった。つまり、正力松太郎に対するこの告発は、読売争議の組合側の人間、鈴木東民等の告発にもとづくものだったらしいが、調書を作成した諜報部の将校たちは、組合側の告発をまったく信用していない。むしろ、組合側の告発を「戦時中のプロパガンダを誇張したもの」と看做し、相手にしていない。国際軍事裁判所でも、判事によるわずか二回の取調べの後、「非公式に放免」されている。この事実は、何を意味するのか。有馬哲夫は、こう書いている。GHQ諜報部のチャールズ・ウイロビーについて。

「ウィロビーが正力や児玉などの戦犯容疑者への尋問のあと何を要求したかは明らかである。それは諜報部のジヤック・キャノン中佐が鹿地亘を一年にわたって監禁し、アメリカのスパイになることを強要した事件からも察しがつく。(『日本テレビとCIA…発掘された「正力ファイル」』P)

かくして正力は、GHQとCIAの手先となり、「podam」というコードネームまで与えられることになり、そこでまず手始めに取り組んだ工作が、民間テレビとしては最初のテレビ局、日本テレビ創設であったが、日本テレビは、文字通り、正力松太郎とCIAを中心とする米国人脈と米国資金による合作であった、と言っていい。従って、日本テレビが、未だに米国情報機関の影響下にあり、親米的で、従米的であるのは、その創設の由来を探るまでもなく明らかである。日本テレビの報道番組「バンキシャ」のコメンテーターとして「小沢一郎批判」と「検察擁護」を執拗に繰り返している、テレビには不釣合いの「河上和雄」という人物が、何故、そこに座っているのか不思議だったが、ロッキード事件捜査の時、東京地検特捜部の検察官だった(『壁を破って進めーー私記ロッキード事件堀田力著)という過去を考えるならば、当然ということになるかもしれない。




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