文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

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メールマガジンの方は、しばらく休んでいる内に、いつのまにか契約解除状態にさされていたため、ほぼ発行を断念し放棄していたのですが、最近、ブログやメルマガの読者たちと交流する機会が何回かあり、お話を伺っている内に、その影響力の大きさをあらためて実感しましたので、無謀にもあらためて再開を試みる事にしました。新聞や雑誌、あるいはテレビやラジオだけが情報収集手段だった時代はすでに終わっているようです。僕は、マスコミから見ればジャーナリズムの「端っこ」に密かに生き延びている文芸誌や文藝ジャーナリズムの、そのまた「端っこ」で細々と批評のようなものを書いてきた人間ですが、ブログやメルマガの登場は、マスコミやジャーナリズムと、読者や執筆者との位置関係を大きく変化させつつあるように見えます。新聞、テレビ、雑誌などのマスコミを主体に活動する人たちの権威は下落し、失墜する一方のように見えます。多くのジャーナリストや評論家が、今や「電波芸者」とか「御用文化人」と揶揄・嘲笑されていることからもわかるように、すでに彼等は権力や政府の補完装置としてのパシリの役割しかやれなくなりつつあります。今や、新聞、雑誌、テレビで活躍するジャーナリストたちには、権力や政府を批判するパワーはありません。そういう闘う気慨のあるジャーナリストや文化人はすぐ追放されます。その結果、マスコミは、何処を見ても、たとえばその時々の権力である「小泉・安倍」路線をヨイショし土下座するだけの御用文化人、御用ジャーナリストのオンパレードです。元共産党の有田某から、テレビに出まくる事で延命している宮崎某、橋下某弁護士、テリー伊藤…まで。ネット・ジャーナリズムを頑強に否定し、古典的なマスコミ幻想をバックに居丈高に振舞い、新聞やテレビで顔が売れているということに居直っているいるジャーナリストや評論家は、僕の周りにも少なくないですが、むろんそういう「ネット拒否」のマスコミ中心主義の姿勢を否定するつもりも尊敬するつもりもありませんが、やはり彼等もこの時代の趨勢を無視する事は出来ないでしょう。いずれ淘汰されていく運命にあるのが誰かは明らかでしょう。むろん、このことは、昔からすでにわかっていたことです。たとえば僕が関係している文藝ジャーナリズムのの世界では、現在、一流の作家、評論家として文学史的に認められているような人はマスメディアに対抗して、貧しいながらも身銭を切ってマイナーな同人雑誌的なものを刊行し、そこでマスメディアの支配拘束や注文原稿から解放された状態で本格的な仕事をしていた人たちばかりです。小林秀雄の「文学界」も保田與重郎の「コギト」や「日本浪漫派」も、あるいは植谷雄高の「近代文学」、吉本隆明の「試行」、江藤淳の「季刊芸術」、柄谷行人の「思潮」「批評空間」等も、そういう反マスコミ、反マスメディアのマイナーな雑誌だったのです。彼等は、そこで、原稿料ゼロではあるが、内的必然性に基づいて「書きたいものを自由に書いた…」からこそ、現在の高い評価を得ることになったと思われます。逆にマイナーな同人雑誌を軽蔑し、マスメディアにのみ依存して、高い原稿料や出演料を懐に、銀座あたりで豪遊し(笑)、「我が世の春」を謳歌していた「売れっ子」たちが、その後、どういう運命をたどったかは、今更、語る必要もないでしょう。使い捨てにされただけです。さて、僕は、かつてマイナーな同人雑誌的なものが果たしていた役割を、今はブログやメールマガジンが果たしつつあるのではないかと思います。出演料も原稿料も出ない、まったくの「無償の行為」としてのブログやメールマガジン…。そこにこそ、思想表現やジャーナリズムの無限の可能性はあるのかもしれません。すでにそういう時代は、僕が指摘するまでもなく到来しています。というわけで、休眠中のメールマガジンの「復活申請」を試みたところ、そのままの状態で復活できましたので、あらためて再開してみることにしました。


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