文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

ネットこそ「マスコミの嘘」を暴く健全な言説空間である。

 例の「人質3人組」とその家族に対するバッシングがすごいらしい。と、マスコミ(テレビ)に登場したコメンテーターや週刊誌が批判的に問題にしている。たしかに2チャンネルなどのカキコミはすごい。高遠家や今井家の経済状況や氏素性、思想遍歴まで暴き出している。しかし、おそらく半分以上は正しいだろう。
 さて、これを不健全なバッシング騒動と受けとめ、「良識ある日本人(笑)」の立場からこの騒動を批判する人たちがいる。
 僕が見た範囲で言うと、桐島洋子、ピーコ、および「週刊現代」が、日本国内に沸き起こった「三人組批判」をバッシングとして批判していた。
 ピ゛ーコは、「かかった費用を本人に負担させよ」という議論をとらえて、「いつから日本人はこんなになったの……・」と、いかにも最近の日本人が「金銭にいやしく……」なったかのように批判していたが、このピーコの発言は、テレビ番組ディィレクターへのゴマスリか、そうでなければ単なるバカ発言と言っていい。誰も金銭を問題にしているのではないだろう。危険地帯にノコノコと出掛けて行って、人質になるとに政府の責任だ、人命を救うためにはテロリストの要求を受け入れよ、自衛隊も撤退せよ、と喚きたてていたボンクラ家族への「見せしめ」として「そこまで言うなら、かかっった費用の一部ぐらい負担せよ……」と言っているにすぎない。
 桐島洋子は、ベトナム戦争取材の体験をひけらかしながら、最後に激しくネット批判をしていた。おそらく2チャンネルあたりのことを言っていたのだろうが、まったくのピンボケ発言だ。ネット的言説空間そのものを罪悪視する老人の無知と偏見にすぎない。テレピや新聞の情報は死んでいる。だから生きた情報はネットの世界に集まるのである。
 「週刊現代」は、三家族への激しいバッシングを、小泉政権が、情報統制をし、国民をバッシングへ向けて煽動したかのように分析しているが、これまたまったくの見当外れだろう。テレビや新聞が、三家族の異常な言動の「いかがわしさ」を隠蔽し、単純な人命尊重と政府批判のメロドラマに仕立てようとしたことに対して、多くの日本人が、危機感から、ネットを使って抗議行動に出たというのが正しいのだ。
 今回のバッシング騒動は、テレビや新聞がすでに批判的な言論機能を喪失し、単なる能天気な体制補完機関としてしか存在しなくなっていることを実証した事件だった、と僕は考える。
 ネットによる三家族へのバッシングがなければ、マスコミと被害者家族を中心にした勢力によって、日本の政治や日本人の倫理はガタガタにくずれていただろう。
 バッシングが起きるのにはそれ相応の理由と根拠があるのだ。
 異常なのはネットではなく、あの三家族と新聞やテレビ、つまり大手マスコミだろう。