文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

芸能アイドル路線的な芥川賞候補選考の仕掛は少しウサンクサイなあ?

 そろそろ新しい芥川賞が決まる次期(1/15)になった。候補作を見てみると、20歳前後の女性が3人もいることに驚く。マスコミが騒ぐのも仕方ないが、これで文学が突然復活するはずもなく、むしろ逆効果しかもたらさないだろう。その3人とは金原ひとみ蛇にピアス」、島本理生「生まれる森」、綿矢りさ蹴りたい背中」だが、いずれも20歳前後。http://202.32.189.64/award/akutagawa/。この、いささか芸能アイドル路線的な芥川賞候補選考の仕掛に少しウサンクサイものも感じるのは僕だけではなかろう。おそらく、「最近の文学なんて……」と思っている文壇良識派からは「やっぱりそうだったのか……」と軽蔑されるだけだろう。むろん僕もこれら三人の新人作家たちが「一発屋」だとは思ってはいない。文学的には年齢とは関係なくしっかりしている。しかし、こういうポピュリズム的な風潮は歓迎すべきことではない。文学とはもっと地味なものであっていいはずだ。それは文学不振や地盤沈下とは違うのだ。文学不振とか小説の地盤沈下が言われて久しいが、そういう発言は業界人たちの挨拶みたいなもので、実際は文学は地道だが着実に成長している。むしろ、若者や現代社会に迎合するような軟弱な文学精神こそが文学の地盤沈下をもたらすのだ。文学や小説とはもともと地味なものだ。地味だからこそ文学は恐いのだ。石原慎太郎村上龍のような派手な作家が毎年毎年登場し、いつまでも活躍しつづけられるものではない。すでに石原も村上も小説家としては過去の遺物でしかない。文学とはそういうものだ。いずれにしろ、若手女性新人作家3人組の登場が、芥川賞を受賞するにしないにしろ、新しい文学世代の登場を物語っていることだけは否定できない。金原ひとみ島本理生については「三田文学」の時評で簡単に触れた。本格的ないい作品だが、しかし矢張り芥川賞には少し無理があると僕は思っている。僕のイチオシは前回もそうだったが絲山秋子だ。今回は「海の仙人」が候補になっているが、ここ1年の活躍には目を見張らせるものがある。文学とは自己批評(自己嫌悪)である。自己批評のない小説はつまらない。絲山の作品にはその自己批評がある。前回の芥川賞落選後の活躍はそれを証明している。彼女に小説を書かせているものは底深いものだ。きっと芥川賞でも受賞したら金井美恵子クラスのコワモテの大物作家に成長して行くだろう。はたして結果は?




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1947年生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒。慶應義塾大学大学院修了。東京工業大学講師を経て、現在、埼玉大学講師。朝日カルチャー・センター(小説教室)講師。民間シンクタンク『平河サロン』常任幹事。哲学者。作家。文藝評論家。
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