文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

革命的国家論=ルソーとヘーゲル(1)。

若きヘーゲルはルソーの信奉者だった。言うならば、ルソーは、フランス革命に多大の影響を与えた政治哲学者であったが、そのルソーの政治哲学(共和政論)とフランス革命という歴史的大事件に深い影響を受けて、哲学的思索を開始したのがヘーゲルだったと言える。

一方、フランス革命に批判的で、『フランス革命省察』を書いて、フランス革命を厳しく告発し、革命批判の保守思想や保守主義を主張したのが、英国のエドモンド・バークだった。

バークは、西部邁の紹介などもあって、昨今は、日本でも、保守や保守思想の元祖のように言われているが、私は、バークにもバーク思想にもほとんど興味がない。何故か。バークは、フランス革命を批判する保守主義者らしく、その政治的思考が浅く、中途半端であり、思考が過激ではないからだ。むしろ、私は、思想家や哲学者としては、過激な革命思想を展開するルソーやヘーゲルの方に興味がある。

私は、昔から、左翼や左翼思想が嫌いであった。左翼や左翼思想が、穏健で、凡庸に見えた。安全な思考しかしていないように見えた 。だから、私は、左翼や左翼思想が嫌いになった。小林秀雄三島由紀夫江藤淳らの方があきらかに過激な思考を展開していた。

私は、学生時代から、私自身の思想的立ち位置としては、その頃、否定的な言葉として、論壇やジャーナリズムで頻繁に使われていた「保守反動」という旗を旗印に掲げていた。むろん皮肉を込めてである。

私は、「保守反動」的思想を誰に学んだか。たぶん、小林秀雄三島由紀夫江藤淳ドストエフスキー、二いーチェ、フロイトなどに学んだのではなかったか。つまり、私は、西部邁やバークに学んでいない。そこが、昨今の保守や保守主義者とはぜんぜん違うところだ。革命思想を取り込んでいない、人畜無害の安全な保守や保守主義に、私はなんの興味も関心もない。

たとえば、私が愛読、熟読している文学者にドストエフスキーがいるが、彼は、革命家であると同時に、頑強な反革命家であった。「俺にアレ(テロ=皇帝暗殺?)が出来るだろうか」と問うドストエフスキーの『罪と罰』は、あきらかに革命小説である。だが、後期の作品、『悪霊』や『作家の日記』などで展開される議論は、反革命論=革命批判である。
革命と反革命が同居している。ドストエフスキーの中には私が、高校生時代から現在まで、愛読=熟読してきた小林秀雄大江健三郎江藤淳三島由紀夫吉本隆明というような文学者は、私の観るところでは、ほぼドストエフスキーと同じ思想の持ち主たちであある。私は、福田恒存もバークも西部邁も、共感しつつ読んだことはない。何かが違うと思う。

だから、私は、三島由紀夫の「反革命宣言」(『文化防衛論』)には、共感出来た。三島由紀夫の保守思想には、過激な革命思想が内在化されている。三島由紀夫は、東大紛争の頃、東大のバリケードに中に乗り込んでいき、東大全共闘の学生たちと、半ば意気投合しつつ討論を行っている。何故、三島由紀夫は、身内の「楯の会」の学生たちではなく、敵側と思われる東大全共闘の学生たちの元へ駆けつけたのか?興味深い問題だ。

三島由紀夫には、過激な左翼革命思想に共感するものがあったのか?あったのだと私は思う。昨今の保守や保守思想には、革命思想が内在化されていない。現状維持的な凡庸な保守思想しかない。

(続く)

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