文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

『ネット右翼亡国論ー桜井誠と廣松渉と佐藤優の接点ー』

私が、安田浩一の『ネットと愛国』を立ち読みして、桜井誠に興味を持ちはじめた頃は、同時に、私は、哲学者で東大教授だった廣松渉の思想遍歴にも興味を持ち始めた頃だった。私は、その頃、佐藤優との対談予定があり、そのための資料として、佐藤優の『廣松渉論』(資本主義・・・)を読んでいた。そして、読み進めていくうちに、「思想の存在論化」、つまり「思想の土着化(存在論化)」という問題に突き当たった。「思想や哲学は、土着化しなければホンモノではない」と。「思想の土着化(存在論化)とは、その思想が、その人の生き死にの問題に直結するということだ」と。
私は、それまでも廣松渉をよく読んでいた。私の最初の著書『小林秀雄ベルグソン』は、廣松渉の「パラダイム・チェンジ」論を重要な参考資料として使っている。

つまり、私は、それまで、廣松渉を、哲学や理論の次元でのみ読んでいた。言い換えれば、廣松渉は、私にとって、最重要な思想家や哲学者ではなかった。思想家・廣松渉、哲学者・廣松渉だけに注目し、理論や思想内容だけを読んでいたからだ。
私は、佐藤優の『廣松渉論』を読んで、はじめて、「人間・廣松渉」を読むことになった。つまり、「実践的活動家」としての廣松渉である。その時、私の廣松渉再評価が始まった。

理論だけではなく人間への関心と興味が深まるにつれて、桜井誠廣松渉が、ダブって見えるようになってきた。

桜井誠廣松渉
。それぞれ、全く違う世界の人であり、思想的に密接な関係があるとは思えない。しかし、私の中では、二人に共通するものがあったのである。それが、本書のテーマでもある「思想家の土着化」、あるいは「思想の存在論化」という問題であった。
廣松渉は東大教授であり、高名なマルクス主義哲学研究者である。一方、桜井誠は、「民族差別」や「ヘイトスピーチ」で知られた反社会的人物と思われている人物である。裁判も抱えている。
誰が見ても、廣松渉桜井誠が似ているとは思わないだろう。

私は、桜井誠が、どういう社会的評価を受けている存在かということを知らないわけではない。しかし私は、安田浩一の『ネットと愛国』を読んで、桜井誠が、世間の評価とは違うと確信した。桜井誠という男を見直し、ちゃんと向き合ってみなければならないと確信した。世間の評価などどうでもいい。私は私の直感を重視した。
安田浩一の本は、世間の、小市民的価値観にどっぷりと浸かっている。あるいは左翼小児病的価値観に染まっている。私は、そういう健全な思想に、なんの関心も興味もない。

つまり、安田浩一の『ネットと愛国』で、桜井誠の故郷が北九州の旧炭鉱町であり、しかも母子家庭で育ったということを知り、すぐに、廣松渉を連想したのである。
佐藤優廣松渉論によれば、廣松渉もまた、福岡県柳川市の出身であり、桜井誠とは細かい事情は異なるとはいえ、父親を早くに亡くし、母子家庭育ちだったからである。
私は、かなり以前から、廣松渉の愛読者だったから、廣松渉の生い立ちも、政治運動で高校中退とか、大検で高卒の資格を取得し、東大に進学などという経歴も、ある程度知ってはいたが、細かい家庭環境や生活状況までは知らなかっ た。

廣松渉は東大教授であり、有名なマルクス主義哲学研究者だった。しかし、佐藤優によれば、廣松渉は、第一義的には「革命家」であったという。廣松渉にとって、哲学研究も東大教授という肩書きも、「革命」のための手段であり、「革命」のための道具に過ぎなかった。
なるほど、そうだったのか。廣松渉の哲学や哲学研究の凄みは、そこから出てきていたのか、と私は納得した。廣松渉は、哲学研究者や東大教授である前に、実践的な革命家だったのだ。この日本で、革命を実現すること、それが、廣松渉の最大の目的だった。