文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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『ネット右翼亡国論』ー廣松渉と桜井誠

廣松渉桜井誠


廣松渉から桜井誠へ。「思想の土着化」や「思想の存在論化」とは何か。廣松渉マルクス主義的革命家なら桜井誠も革命家である。
廣松渉桜井誠

まず、「思想の土着化」や「思想の存在論化」について簡単に説明しておこう。「思想の土着化」とは何か。「思想の存在論化」とは何か。あるいは「思想の内在化」とは何か。
私は、桜井誠の思考や思想は、この「思想の土着化」や「思想の存在論化」を通過して成り立っていると考える。それ故に、桜井誠の思想と行動は侮りがたい、と。桜井誠はたしかに「ネット右翼」の一人だろうが、しかし単なる平凡な「ネット右翼」ではない、と。それは、桜井誠が、政治や思想というものを、単に情報や知識の暗記や受け売りとしてではなく、「生き方の根本問題」と直結した問題として、突き詰めて考えていると思うからだ。

私が言う「思想の土着化」や「思想の存在論化」とは、「思想家の生き方」に深くかかわっている。「生きるか死ぬかの問題」として思想問題や政治問題を考えることができるかどうかということである。私は、桜井誠の言動や思想内容に全面的に賛成というわけではない。しかし、私は、桜井誠の言動と立ち居振る舞いの中に、その「生きるか死ぬかの問題」を見出した。

私が、桜井誠を、平凡な「ネット右翼」と区別し、あえて「存在論ネット右翼」と呼んで擁護するのは、ここに根拠がある。つまり、たとえば、安倍晋三麻生太郎、あるいは百田尚樹櫻井よしこ、そしてそれに類する多くの「ネット右翼」を、私は、「イデオロギーとしてのネット右翼」、つまり「イデオロギーネット右翼」と呼び、桜井誠的な「存在論ネット右翼」を区別する。

しかし、桜井誠の話をする前に、ここで、私は、まず廣松渉という哲学者を取り上げたい。廣松渉こそ、私が、「思想の土着化」や「思想の存在論化」を考えるきっかけになった哲学者だからだ。しかも、意外かもしれないが、桜井誠廣松渉には多くの共通点がある。たとえば、同じく福岡県出身だとか、小さい頃父親と死別したり、別れたりして、いわゆる母子家庭で育ち、それなりに生活の苦労をしたとか、あるいは出身地に固執していることとか・・・。
むろん、桜井誠廣松渉の間には、共通点というより相違点の方が多いことは言うまでもない。一方は、東大教授にまで上り詰めた知的エリートであるのに対して、他方は、地方の高校を経て、臨時の都庁公務員やアルバイトで過ごし、ヘイトスピーチ的、民族差別的言動を繰り返す反社会的な市民運動のリーダー。
しかし、私が言う「思想の土着化」や「思想の存在論化」という視点から二人を見ると、よく似ているのだ。その意味で、廣松渉マルクス主義に立脚する革命家だったとすれば、桜井誠も、別の意味で革命家と言えるだろう。私が、桜井誠を論じる前に、廣松渉を論じる所以である。


さて、私も、つい最近まで、廣松渉を、「マルクス主義哲学者」や「革命家」とは言いながら、所詮は、大学人であり、研究室や書斎にこもる一介の優秀な「哲学研究者」にすぎないと思っていた。つまり「革命」の傍観者ではないが、革命運動や学生運動の「同伴者」程度だと思っていた。
廣松渉は、学者や研究者としては優秀で立派だが、その生き方は、所詮、一介の「哲学研究者」であり、一度は名古屋大学教授を大学紛争で辞職したとはいえ、ふたたび大学教授の職に舞い戻り、やはり「東大教授」という肩書の人にすぎなかった、と思っていたからだ。

しかし、最近、佐藤優の『廣松渉論』((『共産主義を読みとく』、「いまこそ廣松渉を読み直す『エンゲルス論』ノート」))や、小林敏明の『廣松渉――近代の超克』『哲学者廣松渉の告白的回想録』、あるいは熊野純彦の『戦後思想の一断面―哲学者廣松渉の軌跡』などを読むにいたって、私は、自分の廣松渉認識が間違っていることを知らされた。
廣松渉は一介の秀才哲学者でも、哲学研究者でもなかった。佐藤優が言うように、廣松渉にとって第一義的なものは「革命」であり、学問研究は「革命」のための道具や手段であって、いわば二義的なものにすぎなかった。つまり、廣松渉は根っからの「実践的革命家」であった。佐藤優は、廣松渉についてこう書いている。

《なぜ、廣松を二一世紀初頭のいま、日本というこの場所で、正面から取りあげることが重要なのだろうか。筆者の考えでは、廣松が思想のもつ意味を心底理解していた哲学者だからである。廣松にとって、哲学とは「知を愛好する」ことにとどまらず、生き死にの原理となる思想であった。この点が廣松の限りなき魅力なのだ。》

≪廣松の自己意識では、第一義的には革命家なのである。「哲学や思想は、革命のための道具に過ぎない。」とりあえず、そう言い切ってしまう。しかし、そこには収まりきれない何かがある。その「何か」は、マキャペリストに徹することができない、廣松の知的誠実さではないかと筆者は考えている。
それと同時に、廣松には、「革命の成就」という「認識を導く関心」から生まれる狡さがある。それは、知識人が、衒学によって真意を読者の前から隠すような狡さではない。革命への愛に起因する狡さである。


《廣松には、近くで接した人々の磁場を狂わせるカリスマがある。このようなカリスマは、政治活動、特に革命を志向する者には、不可欠の資質なのだ。オーガナイザーとしての能力といってもよい。》(佐藤優共産主義を読みとく』、「いまこそ廣松渉を読み直す『エンゲルス論』ノート」)

≪≫

私は、実は、大学時代から、彼の哲学論文の多くを読んでおり、かなり思想的にも学問的にも深い影響を受けていた。『世界の共同主観的構造』や『物的世界への前哨』『科学』などは、大学時代から大学院時代、、そして私の処女作である『小林秀雄ベルクソン』の執筆のころまで、私は、学問的には、廣松渉の書いたものを参考にしていた。『小林秀雄ベルクソン』は、「廣松哲学」のパラダイム・チェンジという概念を、小林秀雄読解に応用したものである。
しかし、その頃、私は、廣松渉をそれほど尊敬はしていなかった。私が、その頃、尊敬し、畏怖し、目標にしていたのは、小林秀雄であり、江藤淳であり、三島由紀夫であった。あるいは吉本隆明であった。廣松渉ではなかった。
私が、求めていたのは、政治や思想というものを、単に情報や知識の暗記や受け売りとしてではなく、「生き方の根本問題」と直結した問題として、突き詰めて考えている文学者や思想家だった。だから、、私は、ポスとモダン思想とともに流行した「ニューアカ」とか「浅田彰」とか「蓮実重彦」とかに興味を持てなかった。ポストモダンニューアカブームも、所詮はブームにすぎず、実態は秀才たちの知的遊びでしかないと思ったからだ。
再びいうが、私が言う「思想の土着化」や「思想の存在論化」とは、「思想家の生き方」に深くかかわっている。「生きるか死ぬかの問題」として思想問題や政治問題を考えることができるかどうかにかかわっている。
廣松渉も、その同類でしかないのではないかと思っていた。しかし、廣松渉は、彼らとは違っていた。