文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

博多から新思想運動が起きる。「フォーネット」と「春吉書房」。小生の『ネット右翼亡国論序説』も「春吉書房」から刊行予定で、編集中です。

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福岡県博多の月刊雑誌「フォーネット」の編集発行人の松本安朗氏のフェイスブックです。先月、「沖縄問題」をテーマに、池袋の東京芸術劇場の喫茶店でインタビューを受けました。今月は、博多の某所で、「春吉書房」のアイダ社長(間一根)が主宰する飲み会をやりました。松本氏らは、頭山満の「玄洋社」や「黒龍会」の再評価を行っています。今、博多は、燃えています。小生の『ネット右翼亡国論序説』も、博多の「春吉書房(「間一根」(アイダ)社長)」から出る予定です。





松本安朗フェイスブック
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少林寺拳法の昇級試験。朝から気合が入っていたが結果は如何に。私と違って習い事はよく続く。私は小5の時に母親に無理やり入れられたそろばん塾をわずか1週間で退塾させられた苦い思い出が。
今朝は雨がよく降っている。秋雨前線。これが過ぎ去ると一気に気温が下がるのだろう。さて、また「油」の補給が遅れているので、発行は今週末になりそうだ。しばし、お待ちを。8月号の私のコラム(未推敲)でお茶濁し。
「ホシュ」と「保守」
 七月は四年ぶりに上京、今号に登場いただいている山崎行太郎氏ともう一人をインタビューするためだ。沖縄問題をシリーズで掲載している中で、論客にその見方を率直に語ってもらおうという企画だった。山崎氏の「保守論壇亡国論」は一年ほど前に拝読していて、著名な保守論客をなで斬りにしていたのには少々、驚かされた。山崎氏の沖縄独立論についての考察を読んで、知人を通じて取材を申し込むと早速快諾していただいた。本題である沖縄問題の前に、どうしても聞きたいテーマが、「保守の劣化」についてだった。
 小誌は以前、保守系月刊誌と謳った時期がある。それまでのビジネス、経済情報中心から俗世間の関心事に編集方針を切り替えたが、あくまでも「売る」ためのもので自分自身の本意ではないことにジレンマを感じていた。社員が去ってほとんど独り状態になった時に、「食わせる」社員がいなくなって、ようやく自分がそれまで「オカシイ」と思っていたことを解明するために取材を始めることにした。それが、「保守」と呼ばれるものだった。戦後の自虐史観による日本人としてのアイデンティティの喪失、それがオーバーシュートした反日的思想、拝金主義、無理やり呑み込まされているグローバルスタンダード…それまで取材しながら、「どうして?」という自分の内面で起きる何だか分からないジレンマを克服しようと保守といわれるものに近づいた。
 結果として、そうした「保守」から距離を置くことにした。ジレンマが解消されるどころか、ますます深みにはまったからだ。なぜなのだろうか?私自身が「保守」の真の意味を理解できていなかったからだ。「愛国」と叫べば、「沖縄の反基地運動は所詮、カネ」と嘯けば、「韓国、中国の歴史観は怪しからん」と憤れば、「安倍首相は唯一残った保守政治家の星だ。彼を批判するのは反日だ、左翼だ」と罵れば、誰でも「ホシュ」になれるのか。本当にそうだろうか?そもそも保守とは何か?それが小誌の内面的で大きなテーマになっていった。
 この号で、その答えが出たように思う。
 一つは、施光恒氏のコラムだ。投票権の十八歳引き下げを論じた本コラムで、保守を「保守主義とは、啓蒙主義とは全く逆で、人間の知性や理性をあまり信頼していません。人間の知性が社会を作ったのではなく、知性こそが社会や特定の国の文化の中で発展してきたという考え方です。文化を言語になぞらえれば、分かりやすいと思います。言語とは、今に生きる我々が発明したものではなく、民族、国家、社会の継続性の中で自然に生まれてきたもので、言語が我々を作ったと言ってもいいでしょう」と定義づけしている。さらに現在の「ホシュ」派に対して、今の状態では左翼に対するカウンター勢力としての存在感だけしかないのが、実情。保守の有権者像を描き出して、全面に押し出すべき。保守こそ、国民の一体感、融和、同胞意識を強調すべきで、敵対関係の中に事故の存在を規定することが国民の分断に繋がることにいい加減に気づいて欲しいと警鐘を鳴らしている。知性、理性を絶対視して理屈で相手を屈服させようとする「ホシュ」は、ある意味、保守主義とは真逆の啓蒙主義に陥ってはいないだろうか。
 山崎氏は、インタビューで劣化するホシュの現状を嘆き、続けてあるべき姿をこう語る。
「国民や国家のためには、右も左もない。私はこれをイデオロギーから存在論にシフトすべきだと主張しています。つまり、理屈や理論はよく分からないけれども、困っている同胞に心を寄せて、自分でできることをやる。今のように、『保守だ』『左翼だ』というイデオロギーが選考し、それが自己目的化してしまっていますが、そうではなく、漠然と自分の内面から湧いてくる情念に突き動かされるものを、つまり『存在論的なもの』を大事にすべきなのです」。
 それが試されているのが、「沖縄問題」であることは、論を俟たない。

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