文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

マルクスとエンゲルス、あるいはマルクス的な「哲学的思考」とエンゲルス的な「科学的思考」。「小保方問題」は、そういう種類の原理的な思考の形態の問題に深くかかわっているのだが、「小保方問題」は、未だに「科学」(小保方博士をバッシングする側)と「反科学」(小保方博士の側)のレベルで議論されているように見える。小林秀雄や柄谷行人は、この問題を「マルクス」と「マルクス主義」の差異としてとらえて、彼らの批評や思考の原点に据えている。小林秀雄や柄谷行人は、「反科学」ではなく「科学を超えたもの」を問題にしているのだが、そ


人気ブログランキングへ



月刊日本」に連載していた『柄谷行人論序説』は、次号を最終回にして終わらせることにする。実は、近日中に書籍化する予定だが、なかなか終わりそうもないので、どうしようかと迷っていたのだが、『柄谷行人論序説』の続編を書くことを思いついて、問題は解決した。というのは、現在連載中の『柄谷行人論序説』は、ひとまず次号で終わるが、僕が、『柄谷行人論序説』で書こうとしていたことは終わらない。それは、続編で書くことにする。続編のタイトルを『マルクスエンゲルス』とすることにした。むろん、『柄谷行人論序説』の延長である。では、何故、『マルクスエンゲルス』なのか。


僕は、ここ数か月、いわゆる「小保方問題」に取り組んできた。僕は、小保方博士の「画像の切り貼り」「画像の転用」「博士論文のコピペ」・・・などには、別に関心はない。僕が、「小保方問題」で関心を持ち続けてきたのは、「科学」と「科学主義」の違いという問題であった。それは、言い換えると、小林秀雄柄谷行人が問題にしてきた「マルクス」と「マルクス主義」の違いという問題でもあった。つまり、「小保方問題」において、僕は、日本の科学者、科学者予備軍、あるいは科学シャーナリストの多くが「科学主義者」、換言すれば「マルクス主義者」にすぎないと感じた。僕が、「小保方問題」に深入りしたくなった理由は、そこにある。


マルクスマルクス主義者ではなかった。マルクス主義を、主として体系化したのはエンゲルスである。マルクスの「哲学」ないし「哲学的思考」を、エンゲルスは、マルクス主義という「科学」にしてしまったと言っていい。そして、ロシアのマルクス主義者や我が国のマルクス主義者たちを初め、多くの国で、マルクス主義は、「科学」としてむ受け止められ、普及することになった。それは、いい意味でも、悪い意味でも、エンゲルスが作り上げ、レーニンが実践したマルクス主義であって、マルクスの思考、マルクスの哲学そのものではなかったということだ。



したがって、僕の次作『マルクスエンゲルス』は、『柄谷行人論序説』の続編でありつつ、「小保方問題」の理論的総括でもある。「小保方問題」を念頭に置きながら、『マルクスエンゲルス』を書いて行きたいと思う。「小保方問題」を、「画像の切り貼り」「博士論文のコピペ」「研究ノート」「30代の研究者は未熟」、あるいは「女の涙」・・・などの問題に矮小化させてはならない。


人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ (続きは、『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!有料メールマガジン『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから→http://www.mag2.com/m/0001151310.html