文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

曾野綾子は、ノーベル賞作家である大江健三郎を、名誉毀損で訴えた「集団自決裁判」を、どう考えていたのだろうか ?


大江健三郎は、「新潮」のロング・インタビューで、こう語っている。

「社会科の教科書から私が『沖縄ノート』に書いた、旧日本軍の命令によって、住民たちの集団自決が行われたという歴史的事実が取りのぞかれてしまう・・・・・・その勢いのなかで、『沖縄ノート』が旧日本軍の守備隊長と遺族の名誉を毀損しているとして裁判にかけられることになった。当然私は引き下がることはなかった。それで、六年かかり、最高裁が上告を棄却して私らの勝訴が確定するまで闘うことになりました。」

「沖縄の裁判で最高裁の棄却が決まる直前、大地震福島原発の事故が起きました。その時、広島と沖縄と福島がひと続きの問題として、私のなかでつながったという思いを持ちました。二十代の初めから小説を書き始めた私は、そのうちエッセイやルポルタージュを書くために旅行させてもらうようになって、最初に引き受けた仕事からの作品が『ヒロシマ・ノート』です。その次に沖縄に何度も出かけて三十五歳の時、『沖縄ノート』を出版した。(中略)広島の問題が福島の問題として続いているように、沖縄の問題は私にとっては戦後、新しい憲法ができた際の経験とひと続きの問題としてある、と考えもした。それは、あの時点でそのように考えた、というのではなく、あの時点に出発点を置いて考え続けることになり、いまの地点に至っている、ということです。」


大江健三郎は、六年間も、不当な裁判に振り回されてきたということだろう。この裁判を背後から支援し応援し続けてきたのが、曾野綾子ら、保守論壇の面々である。とりわけ曾野綾子の『ある神話の背景』(『沖縄戦 渡嘉敷島 集団自決の真実』)の存在は大きい。そもそも曾野綾子は、自分自身に作家であるという自覚があるならば、「ノーベル賞作家」である大江健三郎を、政治的立場や思想的立場は異なり、対立するとしても、六年間も裁判にかかりきりにすべきではなかったのだ。曾野綾子にどういう動機があったのか知らない。「ノーベル賞作家」として世界的に活躍する作家・大江健三郎へのライバル意識が屈折して、嫉妬や僻みとなり、挙げ句の果ては「裁判」による「大江健三郎つぶし」を画策することとなったのだろうか?
曾野綾子は、「沖縄集団自決裁判」の弁護士の一人・徳永信一にこんなことを言っているらしい。

《判決の前、誤読説のことを曾野氏に尋ねる機会があった。
「そんなくだらないこと、ほっておきなさい。もっと大事なことがあるはずです。すべては、大江さんの悪文から来てることなのよ」》
(徳永信一ノーベル賞作家のまやかしのレトリック」2008/8「WILL」)

これは判決前の発言であるが、「すべては、大江さんの悪文から来てることなのよ」とは白々しい。私は、曾野綾子の発言に、何か不穏なものを感じる。「罪の巨塊」を「罪の巨魁」と誤読し、その後、保守論壇の面々が堂々と「罪の巨魁」という誤字を使うようになったことは明らかだが、どうもその原因を作った当事者でありながら、曾野綾子は、「誤字誤読説」を認める気はないらしい。



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