文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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江藤淳と小沢一郎が「共有するもの」―安全保障と憲法改正論

江藤淳小沢一郎が共有するもの、あるいは一致するところは少なくないが、私は、共有し、一致するところと言っても、政策や思想の一致など、意識レベルのものはあまり重要だとは思わない。むしろ重要なのは、人間本質にかかわる部分であり、体質や心情、生活態度など、無意識レベルの一致、共有の方であると考える。本居宣長は、「意は似せ易く、姿は似せ難し」と言っているが、本居宣長の言う「意」とは、政治に換言してみれば、政治思想や政治的政策や理念などであろう。こんなものは、誰にでも簡単に真似できると本居宣長は言っているわけである。「姿」とは、物まねしようと思っても簡単にまね出来ないもののことである。たとえば、立ち居振る舞い、あるいは顔かたち、生き方のスタイル・・・は容易には真似できないものである。したがって、政治思想や政策、理念を、私はそれほど重視しない。しかし、江藤淳小沢一郎の共有するもの、一致するもので、政策や理念にかかわる問題で、忘れてはならない問題がある。それは憲法問題である。小沢一郎が、「小沢調査会」以来、若い時から、安全保障問題を中心に憲法問題に取り組んできたことはよく知れている。最近の「米軍は第七艦隊で十分だ」発言とか、「沖縄米軍海外移設論」などは、物議をかもしたけれども、あれは、小沢一郎の思いつきの発言ではなく、長年にわたる研究、熟慮の上での発言である。つまり、小沢一郎は、「憲法改正」と「日本独立」を早くから模索し続けてきた政治家である。ところで、江藤淳はどうだろうか。実は、江藤淳こそ、元祖「憲法改正論者」なのである。江藤淳の仕事の重要な分野の一つが、戦後、アメリカ占領軍に押し付けられた「日本国憲法」の研究である。『一九四六年憲法―その拘束』や『忘れたこと忘れさせられたこと』『閉ざされた言語空間』などの著書は、その成果である。江藤淳は、1979年(昭和54年)に、戦後憲法研究と米占領軍の検閲問題の研究のために、ワシントンのウッドロー・ウイルソン国際学術研究所に、研究員として赴任している。そこで、明らかになったことの一つが、米軍による検閲は、憲法の成立過程の内情を隠蔽し続けるという検閲だったということであった。そこで、江藤淳は、憲法成立過程において、何が起こったのか、何がわれわれ日本人に隠されたのかを明らかにしたうえで、憲法改正という問題を提起したのである。しかも、江藤淳憲法論も、小沢一郎と同じように、アメリカからの軍事的独立を模索する「日本独立」を視野に入れた憲法改正論であり、その中身は対米独立論であり、自主防衛論であると言っていい。たとえば、田久保忠衛との対談で、こう言っている。

問題は冷戦後の世界だと思います。(中略)戦後の第一の敗戦から今日までの歴史を振り返ると、日本は防衛、安全保障、国際政治の面では一人前ではなかった。しかし経済は別だ。(中略)しかしこれからは列強の時代ですから当然列強の一つに日本はまた戻る。そうなれば憲法問題がまず出てくる。日米同盟は大事にしても「自国の防衛は主として自国が負担する」という国民的合意の形成に政治は動かなければいけない。それを前提にしたうえで、たとえば国連安保理常任理事国になる。そこで初めて戦後が終わる。そして「新しい時代が二十一世紀に向けて始まるんだ日本はやっと大人になれる機会がきたんだ。さあ、日本の政治はどうするだろう」と思っていたのです。

江藤淳が言っていることは、憲法改正を通じての対米自立、自主防衛ということである。「冷戦終結」は、そのいい機会になるというわけである。しかし、その後の日本の歴史は、そうはならなかった。文字通り「足踏み」状態であり、むしろ「逆戻り」しつつある。そこで、日本の独立、自主防衛を実現してくれるかもしれない政治家として、江藤淳が期待した政治家が小沢一郎だったように見える。そのためには、小沢一郎の「剛腕」も「権力闘争」に賭ける情熱も、あるいは場合によっては「金権体質」さえも、必要になるかもしれない、と江藤淳は考えていたのではないか。




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