文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

小沢調査会と江藤淳。実は、江藤淳は「小沢調査会」のメンバーでもあった。竹下内閣時代の朝食会「政治改革に関する有識者会議」で、当時、官房副長官だった小沢一郎と江藤淳は、しばしば同席し、「政治改革」について議論していた。この会合の他に、「小沢調査会」でも学識経験者として同席し、憲法問題や安全保障問題について議論している。江藤淳は、小沢一郎という政治家の資質も才能も知り尽くた上で、政治家・小沢一郎を絶賛し、擁護し、期待していたのである。

竹下内閣時代の朝食会「政治改革に関する有識者会議」は、当時、政界を巻き込んで大事件に発展しつつあったリクルート汚職(事件)のようなスキャンダルがが起きるのは、単に政治家や経営者個人の問題ではなく、いつでも起こりうる構造的な問題だという観点から、現在(当時)の中選挙区制選挙制度の再検討をはじめとして、政治資金規正法公職選挙法などの抜本的改革を行うことによって、政治改革の基礎を整えたいという、竹下首相の発案で開かれたものであった。竹下内閣は、結局、リクルート事件の余波で潰れて、この朝食会も打ち切られることになるわけだが、この朝食会における小沢一郎の様子を、江藤淳はこう書いている。

私は、竹下内閣の最末期に政治改革に関する有識者会議のメンバーだった。首相官邸の朝食会で前後8回、政治改革を論じたのだが、当初改革の必要性をいい出したのはほかならぬ竹下さん自身だった。/時の官房長官小渕恵三さんで、副長官は小沢一郎。竹下さんは一度を除いて精勤し、小渕、小沢両氏は常に出席していた。竹下さんの提起した政治改革は、政治資金制の改革と、とくに選挙制度の改革。(中略)だが、当時この改革の必要性を一番深刻に考えていたのは、小沢さんだったのではなかろうか。竹下さんはリクルートで潰れてしまったけれど、竹下さんの提起した政治改革をやらなければだめだ。早い話が、カネがかかって次の選挙は打てない、と。
(江藤淳「竹下VS小沢「平成自民党戦国史」の読み方」SAPIO1992/11/26)

竹下首相の発案で始まった会議だったが、はたして竹下首相に改革を断行する意志があったかどうかは疑わしい。政治改革論議を隠れ蓑にして、竹下政権が追い込まれつつあったリクルート政局を乗り切ろうとしただけかもしれない。少なくとも江藤淳は、そう考えていた。しかし、江藤淳は、小沢一郎はそうではないと言いたいのである。これを読むまでもなく、江藤淳は、「小沢一郎には政策がない」などとは、少しも考えていないと言うことが出来る。むしろ、小沢一郎という政治家は、稀に見る「政策優先型」の政治家、しかも実行力をも、つまり「政策実現能力」をも兼ね備えた政治家だと考えていた。江藤淳も出席した二つの勉強会の成果が、小沢一郎の手によって、賛否は分かれるかもしれないが、やがて「小選挙区制」への選挙制度改革と、憲法改正や安全保障問題としての湾岸戦争問題の処理というかたちで結実することになる。江藤淳は、「それでも『小沢』に期待する」でも、この「朝食会」ににおける小沢一郎の様子について、さらに詳しく書いている。

私の関から見て竹下さんの左隣に座ったのが小渕恵三官房長官。右隣に座っていたのが石原信雄官房副長官で、その隣に座り、私のちょうどテーブルを隔てた向こう側にいたのが小沢一郎官房副長官でした。彼は、この会議にすべて出席し、終始一言も喋らなかった。腕を組んで瞑目して、しばしば天井を仰ぐ。居眠りをしているのかとと思うとパッと目を見開いて聴いている。もちろん何かメモが回ってきた時に頷いて返すというようなことはあったけれども、無言のままニコリともせず、我々のの議論をじっと聴いていた。(中略)しかしこの懇談会の精髄を吸い取り、選挙の神様を自認している竹下氏の問題意識を、現実に政策化するためにどうすべきかと、じっと天井を見つめながら小沢氏は考えていたのではないか。
(江藤淳は、「それでも『小沢』に期待する」「諸君!」)

その後の歴史が実証するように、あるいは江藤淳が予想したように、小沢一郎が、この朝食会での議論を、目をつむりつつも、じっくりと聴き、いつか具体的に政治改革として実行しなければならないと考えていたことは明らかである。「小沢一郎は権力を手に入れたいだけで、政策など考えていない・・・」というようなマスコミや反小沢派の政治家たちから流れてくる「小沢情報」は完全に間違っていると言わなければならない。むしろ「政策論」や「政治哲学」がないのは、テレビや新聞の「政治記者」たちを中心とするマスコミ、ジャーナリズムの方であり、反小沢派の政治家たちの方であると言って間違いない。「政治とカネ」という目線で見れば、この世は万事、「カネ」の世界に見えてくるし、「色と欲」の目線で見れば、この世は万事、「色と欲」の世界にしか見えてこない。小沢一郎を「政治とカネ」や「色と欲」の視点からしか「バッシング報道」するしかないマスコミやジャーナリズムに棲息する面々こそ、「政治とカネ」「色と欲」の世界にドップリとつかり、まみれている連中なのである。当時から現在の「小沢一郎バッシング報道」まで、マスコミやジャーナリズムに棲息する「政治記者」や「新聞記者上がりの政治評論家」たちの実態は、何も変わっていないのである。しかしながら、少なくとも、この頃、政治評論の分野で、中心的な存在として活躍していた文藝評論家・江藤淳の眼には、小沢一郎という政治家は、「政策優先型」の政治家として、しかも「政策実現能力」をも兼ね備えた政治家として見えていたことは確かであろう。それが、「それでも『小沢』に期待する」という、かなり過激な言葉になったのであろうと思われる。その後、江藤淳小沢一郎の身の上には、簡単に言い尽くせないような人間ドラマとしての有為転変があったが、しかし、小沢一郎は、江藤淳の「期待」を裏切ったことはないと言っていい。江藤淳は、1999年、鎌倉の自宅の浴槽で、手首を切って「自死」したわけだが、もし生きていて、現在の小沢一郎を見たら、何と言って批評するであろうか。江藤淳に無断で、産経新聞出版から、江藤淳著『小沢くん、水沢に帰りたまえ』という羊頭狗肉の捏造インチキ本を出し、その巻頭に、本来の著者である江藤淳を、「小沢一郎に騙されていたのだ・・・、分からなかったのだ・・・」と批判するという前代未聞の珍解説を書いている屋山太郎のように、小沢一郎を批判・罵倒しただろうか。言うはずがない。間違いなく、江藤淳はこう言うだろう、「自分の眼に狂いはなかった。期待した通り、やはり小沢一郎は桁違いの大物に成長した。」・・・。ちなみに屋山太郎は、こんな珍解説を書いている。馬鹿もここまでくればたいしたものである。

「それゆえに『帰りなん、いざ』をいま、読み返してみると、当時とはまた違った感想を持つ。江藤氏は、「小沢氏に期待しすぎたのではないか」・・・
日米安保をのっぴきならない状況にまで破綻させ、陛下に意見するまでに増長した小沢氏を、江藤氏ならば完全に左傾化したと考えるだろう。自分は左大臣におさまり、輿石東氏を右大臣に、操り人形を担いでいると見る。そして徹底して批判しただろう。」・・・
「江藤氏のみならず、保守派が完全に騙された大嘘つきの゛小沢という神話゛の正体がやっと現れたからである。」・・・

馬鹿も休み休み言え、という言葉があるが、政治記者政治記者上がりの政治評論家というものが、いったい、普段、何を考えいるかがよくわかる解説である。いかに知能指数の低い人間か、いかに物を考えない人間かがよく分かる。こういう連中を相手にしなければならない政治家という職業も、本当に気の毒としか言いようがない。屋山太郎は、こんなことも書いている。

ここで九段の寿司屋の二階で、初めて小沢氏に差し向かいで会った。その後、何十回も彼とは会っているが、後にも先にもご馳走になったのはあの一回きりである。

屋山太郎は、こんなことを書いて何が言いたいのか。まさか、「もっとご馳走してくれよ」と言いたいのか。「小沢一郎は一回しか奢ってくれなかった。ケチな奴だ・・・」と。そこで、そういうことを言うだろうというわけで、江藤淳の一言・・・。

そう考えていくならば、国民はすべて清く正しく美しくて、政治家だけが汚いという議論はマヤカシだということがハッキリしてくる。そんなことを書き立てている大新聞の政治記者諸君に対し、「それならあなた方は洋服地の一つももらっていないのか」と聞かねばならないことになってしまう。新聞やテレビは、いまこぞって国民は正しくて政治家が悪いといっているけれど、これこそ、偽善の極ではないのか。

思わず、噴出したくなるのは、僕だけではあるまい。(笑)



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