文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「大本営発表」とは何か?上杉隆よ、「大本営発表」による情報統制と情報隠蔽が240万人の日本人の命を奪うことになってしまったというのか?馬鹿も休み休み言いたまえ。

上杉隆が、原発事故報道批判の延長で、しきりに戦時中の「大本営発表」と同じようなものだという表現をしている。上杉は、「大本営発表」とは何か、についてまともに考えたことがあるのか。戦後、流通した「通説」(流言飛語)を鵜呑みにしているだけではないのか。「大本営発表」の何処が悪いのか? 上杉は、「週刊金曜日」「週刊読書人」で、まったく同じ内容の発言をしている。そこで「大本営発表=情報隠蔽=情報統制=悪」を自明の真理のごとく批判している。戦時下にも、情報隠蔽や情報統制はあってはならないのか。戦時中のような「非常事態宣言」下に「情報統制」が行われるのは当然だろ?上杉は、ガダルカナルやミッドウェーに関する「大本営発表」による虚偽報道や情報隠蔽が、「最終的に240万人の日本人の命を奪うことになってしまった。それとまったく同じことが、同じ構造の元に、今再び起こっている」(「週刊読書人」4/22号)と言っている。240万人の死者は「大本営発表」の結果だと?(笑) 上杉よ、「大本営発表」ではなく、「自由報道協会」レベルのフリージャーナリストがいて、「自由報道」を続けたならば、240万人の死者は出なかったというのか? たしかに「大東亜戦争」そのものがなかったら戦死者はゼロだったかもしれない。では、あの戦争は、やるべきではなかった、と言うのか?欧米政府、欧米メディアは、今回の中東ツイッターフェイスブックというメディアによる革命劇において、さかんに情報統制や情報弾圧を批判・告発している。では、欧米先進国には情報統制や情報隠蔽がないのか。9.11以後の米国は?何故、ウイキーリークスの某は逃げ回らなければならなかったのか?「国家には生き残りの本能がある」と言ったのは佐藤優だが、もし国家が非常時を乗り越えて生き延びようとしたら、まっさきにやることは情報統制ではないのか。国家の存在そのものを否定するなら別だが、国家が自滅・死滅しないためには、国家機密、軍事機密など、最低限の情報統制は不可避だろう。情報公開がなされていたら戦争にはならなかった、と考えるのか?そもそも「大東亜戦争」に反対した日本人はごくごく少数である。小林秀雄西田幾多郎のような一流の知識人も、そして多くの国民も、欧米帝国主義に対して、「欧米中心主義を排す」という世界史的意義を自覚して戦争に立ち上がったのだ。小林よしのり上杉隆のような、知ったかぶり、パクリ、いいとこどり・・・という通俗きわまりない手法しか持ちえない連中が何を書こうと構わない。しかし、彼らを代表的な言論人として持て囃すマスコミや国民を見ていると、日本人の思想的レベルは戦前の、あるいは戦時中のそれに遠く及ばないと思う。ところが、嘘か真実か確認していないが、こんな書き込みが。「気になったのが上杉氏の最後の挨拶。孫さんからのスタジオやサーバー使用の便宜、寄付への感謝をしていた。記者クラブの地代や電話代を各省庁が負担しているのを、非記者クラブメディアは批判していたはず。」という情報が。えっ?上杉隆のスポンサーが孫ソフトバンクだと?笑える話である。


(後は、『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!有料メールマガジン『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから、http://www.mag2.com/m/0001151310.html
人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ