マスコミ(政治評論家)は、何故、「官房機密費疑惑」を黙殺するのか? あるいは、何故、「官房機密費疑惑」を論議の俎上に乗せられないのか?
文藝評論家と政治評論家とは、ともに「評論家」とはいいながら、その存在性は根本的に異なる。たとえば、小林秀雄や福田恒存、ある江藤淳、吉本隆明等がそうであったように文藝評論家の場合には、作家論や作品論とは別に、自己批判や相互批判、あるいは論争は付き物であるが、政治評論家の場合はどうだろうか。政治評論家やマスコミに対する野中広務の「官房機密費疑惑」証言を、マスコミ、政治評論家、そして政治ジャーナリズム全体が完全に黙殺し続けていることが示しているように、政治評論家の場合は、政治家や政局に対する発言は繰り返すが、決して政治評論家という自己自身の存在に対する批判や相互批判、あるいは論争はほとんどしないように見えるが、これは、何を意味するだろうか。平野謙という文藝評論家について、江藤淳が戦時中に戦争遂行中の当局・政府に協力しながら、それを隠蔽して戦後、左翼的な文藝評論家として登場し、活躍したという事実を、具体的資料や文献に基づいて厳しく批判した例が示すように、あるいは「転向論」で、転向しなかったことを無前提に価値とする作家や文藝評論家たちの自己欺瞞を、転向した作家や文藝評論家たちと同様に批判した吉本隆明の例が示すように、批判や論争は、文学や文藝評論の世界では、不可欠である。もし、文藝評論家が、相互批判や論争をしなくなったら、文藝評論家は文藝評論家ではなくなると言っていい。おそらく江藤淳没後、あるいは小林秀雄や福田恒存、三島由紀夫等の没後、文藝評論家の世界が地盤沈下し始めたとすれば、それはまぎれもなく、文藝評論家の世界も政治評論家レベルへ後退し、自己批評も相互批評も論争もしなくなったということを意味している。さて、マスコミや政治評論家たちは、何故、自分達の存在原理にかかわる「官房機密費」スキャンダルを取り上げようとしないのか。おそらく、マスコミや政治評論家とは、自己自身の存在原理にかかわる問題を取り上げる才能も資質もない存在なのである。つまり政治評論家とは、ここでは政治評論家という存在に限定するが、「政治」や「政治家」を擁護したり批判したりするだけで、自己自身を問題にすることが出来ない存在である。言い換えれば、政治評論家とは未だに自立していない存在であり、「ヒモ付きの存在」、「主人持ちの存在」、つまり政治評論家という存在は、パトロンなしでは存在不可能な存在だということであろう。これは、文藝評論家が、文藝評論家という存在の「存在性」を問う存在だということと、決定的に異なる。江藤淳は『小林秀雄』論の冒頭で、こう書いている。
人は詩人や小説家になることができる。だが、いったい、批評家になるということはなにを意味するであろうか。あるいは、人はなにを代償として批評家になるのであろうか。すくなくとも私にとっては、小林秀雄を論じようとするとき、最初に想起されるのはこの問題である。小林秀雄以前に批評家がいなかったわけではない。しかし、彼以前に自覚的な批評家はいなかった。ここで『自覚的』というのは、批評という行為が彼自身の存在の問題として意識されている、というほどの意味である。彼の出現に先立っていたのは長い、健康な啓蒙期であった。彼の沈黙と同時に出現したのは、小林の語彙を用いることを識った新しい、衰弱した啓蒙家たちである。つまり、彼は批評を創め、芸術的な表現に高めると同時に、これをこわしたのである。
(江藤淳『小林秀雄』)
「小林秀雄以前に批評家がいなかったわけではない。しかし、彼以前に自覚的な批評家はいなかった。ここで『自覚的』というのは、批評という行為が彼自身の存在の問題として意識されている、というほどの意味である。」という江藤淳の指摘は重要である。特に、「批評という行為が彼自身の存在の問題として意識されている」というくだりは、文藝評論家という存在と政治評論家という存在の差異を浮き上がらせる言葉である。政治評論家が、彼等自身の存在根拠にかかわる「官房機密費疑惑」を無視・黙殺するのは、まさしく彼等の政治評論という表現行為そのものが、「彼自身の存在の問題として意識されて」いないということである。政治評論家にとって政治評論行為とは、「身過ぎ世過ぎ」の生活手段であって、それ自体が目的ではないからである。おそらく、もちろん多くの例外はあるが、文藝評論家にとって文藝評や政治評論という表現行為が、彼等自身の存在の問題として意識されていないはずはないのであって、もし、それが政治評論家と同様に「身過ぎ世過ぎ」の生活手段に過ぎないとすれば、何故、金儲けの手段としてそれほど効率的とも思えない文藝評論家という職業を敢えて選択したのかという説明が不可能になるからである。もし、最近、文藝評論家という存在が、福田恒存や江藤淳の時代を最後に、社会的な、あるいは政治的な存在感をなくしつつあるとすれば、それは文藝評論家という存在が、「身過ぎ世過ぎ」の生活手段としてしか認知・了解されていないということであろう。しかし、少なくとも、小林秀雄から福田恒存、江藤淳までは、文藝評論家という存在は、社会的存在としては微々たるものであったかもしれないが、思想的に、あるいは政治的には無視できない存在であった。たとえば、小林秀雄は、終戦直後に、戦争責任の追及が烈しくなり、多くの知識人や文化人が共産党に入党したり、左翼へ転向したりしていく中で、本多秋五、平野謙、埴谷雄高等「近代文学」の同人たちを相手に、こう言い放つことが出来た。
僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについては今は何の後悔もしていない。大事変が終わった時には、必ず若しかくかくだったら事変は起こらなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起こる。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。
(「近代文学」「コメディ・リテレール」昭和21年1月12日)
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