文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「目取真俊ー小林よしのり論争」を読む。

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琉球新報」紙上で、昨年末、「目取真俊小林よしのり論争」なるものが展開されたらしいことは、小林の「ゴーマニズム宣言」とかいう連載マンガを立ち読みした時、チラッと見て、薄々知ってはいたが、その論争の詳細な言葉のやりとりや内容はわからなかったけれども、たまたま琉球新報につながりが出来たことから、メールで論争記事の全文を送ってもらうことが出来たので、以下に掲載することにする。おそらく、小林よしのりのマンガを読む人たちも、目取真俊が何を言っているか、あるいは何を言いたいのか、は分からなかったはずであるから、文献資料としても貴重だし、また当面の沖縄論の参考にもなるだろうが、むろん、そんなことよりもまず僕自身にとって、一番、いい勉強になった。目取真俊は、沖縄の渡嘉敷島出身、沖縄在住の芥川賞作家(「水滴」)で、「すばる」等でも「沖縄集団自決」を追及している専門家である。むろん、小林よしのりも、現地取材までして「沖縄論」の本を上梓したり、最近では「ゴーマニズム宣言」でも「沖縄集団自決」特集を組んだり、八木秀次らの「沖縄集団自決裁判」シンポジウムに出席したり、かなりの勢力をこの沖縄問題につぎ込んできた人だから、この激突は、ある意味では専門家同士の激突ということで、なかなか面白いと言っていい。さて、論争の中身だが、僕は、これまで小林よしのりがどのような沖縄論や集団自決論を書いてきたのかよく知らないが、少なくともこの論争に関する限り、小林よしのりの主張にかなりの違和感を持つ。たとえば、小林は、≪一体、どこの誰が「軍命があったから」という理由のみで妻子の命を手にかけられるのか?そんな軍命には断固背いて家族と共に逃げ、米軍に殺されようと、日本軍に殺されようと構わないではないか。当時の沖縄県民が、家族愛よりも軍命を選んだなんてことはない、とわしは主張しているのだ。≫と言っている部分だが、小林は、「沖縄集団自決事件」の意味をまだよく理解していないようで、あたかも「軍命令」に反対したり、命がけで逆らったりできるような状況にあったと錯覚しているようで、これは曽野綾子もそういうことを書いているが、つまり渡嘉敷島の村長は、何故、命がけで軍命令に反対し、命がけで住民や家族の命を守ろうとしなかったのか、というように書いているが、僕に言わせればこれはまつたくの勘違いであり、勉強不足であり、暴論であると言わざるを得ない。ほぼ全村民が日本軍の支配下にあり、しかも厳重な監視下にあったわけで、その証拠に米軍と接触したり、米軍に投降したりした住民が片っ端から斬り殺されているわけで、そういう戒厳令にも等しいような状況下に、素手の民間人が、武装し、しかも必死の決戦を前にいきり立っている軍隊を前に、逆らえるわけがないのだ。どうせ自決するんだから命がけで……、私なら……なんて話は、現場の状況を無視した安っぽいメロドラマやマンガの世界の話にすぎない。そしてまた小林は、目取真が、「戦時下の沖縄住民は日本軍の全面的な統制下で暮らし、行動していた」という心理状態にあったから、軍命に逆らえなかったと主張するのに対しては、≪軍命一つで家族が命を奪い合う「全面的な統制」なんて、どうすりゃできるのだ?わしには当時の沖縄県民がそこまで主体性を喪失していたとはどうしても思えない。≫なんて暢気なことを言っているが、これまた無知から出た暴論に過ぎない。島全体が、日本軍の支配下にあり、しかも特攻攻撃の秘密基地ということで、異様な興奮状態にある軍隊を前に、沖縄県民の「主体性」などあるわけがない。そして、小林は、この暴論を前提に、≪沖縄県民の家族への愛情は健全であった。そして地域の絆の深さは特に強固だった。だからこそ共同体の「同調圧力」は強かったはずだ。一人が死のうと言い出せば、逆らえぬ空気が生まれる、これが「同調圧力」だ。≫なんて分析をして、「家族愛による集団自決」という物語を勝手に作り、集団自決を美化しようとしているわけだが、これまた、荒唐無稽な空論に過ぎないだろう。小林はまた、≪言っておくがわしは、確実な証拠が出たら軍命説でも構わない。≫ と、これまた曽野綾子と同じように言うが、これこそ怪しい欺瞞的なレトリックである。そもそも、小林らが言う「確実な証拠」とは何か。それは、「軍命令」を書きしるした「公式文書」のことだろう。そんな公式文書が、これから出てくるわけがない。出てくるわけがないということを薄々感じているから、そんなことを言うのである。この論争を読んで、小林の論理が、ほぼ曽野綾子の論理にちかいことがわかった。小林もまた「沖縄集団自決」を殉国美談として美化し、日本軍の一部が仕出かした戦争犯罪を隠蔽し、擁護したいのであろう。むろん、僕は、日本の軍隊の総体を批判したり否定したりするつもりはない。少なくとも渡嘉敷島座間味島のような集団自決事件を引き起こしたところの日本の軍隊は、明らかに理想の軍隊ではなかったし、また賞賛されるべき軍隊でもなかっただろう、と言いたいだけである。赤松隊や梅澤隊が、すべての責任を現地住民に押し付けて、自分達は何も悪いことはしていない……、住民は勝手に自決した……と詭弁や策謀をこらしつつ、ある場合には住民を騙して裁判のための「詫び状」まで手に入れ、それを根拠に「名誉回復」裁判を画策するような卑怯な兵隊だったことは間違いない。
(続)


鴾2007年11月03日文化面
<風流無談>目取真俊/事実ねじ曲げる小林氏/「軍命」否定に家族愛利用
本文

 漫画家の小林よしのり氏が雑誌「SAPIO」(小学館発行)十一月十四日号の「ゴーマニズム宣言」で「集団自決の真相を教えよう」という漫画を書いている。現在の沖縄を「全体主義の島」呼ばわりし、9・29県民大会の意義を否定するのに必死になっている。事実をねじ曲げる手法と内容のひどさには呆れるが、小林氏がどういう人物かを知るうえでは格好の素材かもしれない。
 小林氏は「集団自決」は「軍命」ではなく、〈家族への愛情が強すぎるから、いっそみんなで死にたいと願ってしまった〉が故に起こったのだと主張し、次のように書く。
〈そもそも「軍命」があったからこそ親が子を殺したとか、家族が殺し合ったなどいう話は、死者に対する冒涜(ぼうとく)である。そんな「軍命」は非道だと思うなら、親は子を抱いて逃げればいいではないか!自ら子供を殺すよりは、「軍命」に背いて軍に殺される方がましではないか!〉
〈明日にも敵が上陸するという状況下では、島の住民に集団ヒステリーを起こさせるに十分な緊張が漲(みなぎ)っていた。しかも本土よりも沖縄の方が、村の共同体の紐帯(ちゅうたい)ははるかに強い。そのように強い共同体の中には「同調圧力」が極限まで高まる。だれかが「全員ここで自決すべきだ!」と叫べば、反対しにくい空気が生まれる。躊躇(ちゅうちょ)する住民がいれば、煽動(せんどう)するものは「これは軍命令だ!」と嘘(うそ)をついてでも後押しする〉
〈ひょっとして沖縄出身の兵隊が「敵に惨殺されるよりは、いっそこれで」と、手榴弾を渡したかもしれない。だがこれは、あくまで「善意から出た関与」である〉
 小林氏の主張は、「集団自決」は沖縄の住民が「家族への愛情」から自発的に行ったものであり、仮に手榴弾を渡すという軍の「関与」があったとしても、「沖縄出身の兵隊」や「防衛隊員」の「善意から出た関与」で、沖縄出身以外の兵隊は「関与」していないというものだ。そして、「軍命令」は共同体(村)の中の煽動者が住民を「集団自決」に追い込むためについた「嘘」なのだという。
 「集団自決」(強制集団死)によって肉親を喪った人たちは、戦後六十二年の間どのような思いで生きてきたか。その苦しみは第三者には理解不可能かもしれない。だが、それでも理解しようという努力はし続けなければならない。「集団自決」の問題について考えるとき、それはけっして忘れてならない基本的なことではないか。その姿勢があれば、〈そんな「軍命」は非道だと思うなら、親は子を抱いて逃げればいいではないか!〉という言葉は出てこないだろう。
 米軍に残酷なかたちで殺されるよりは自分の手で殺した方がいい。そう思った親がいたとしても、問題はどうしてそのような心理状態に追いつめられていったかである。戦時下の沖縄住民は日本軍の全面的な統制下で暮らし、行動していた。そういう軍と住民の関係を切り離したうえで、あたかも「軍命」に逆らって逃げようと思えば逃げられたかのような書きぶりで、小林氏は問題はすべて住民の側にあったかのように描き出す。
 そもそも「集団自決」の原因を「軍命」か「家族への愛情」かと二者択一の問題として設定すること自体がおかしい。慶良間諸島伊江島読谷村など「集団自決」で多くの犠牲者が出た地域は、日本軍の特攻基地や飛行場などの重要施設があり、住民がその建設に動員され、日本軍と住民の密接な関係が築かれていた所だ。日本軍のいなかった島では「集団自決」が起こっていないことを見ても、「家族への愛情」だけでそれが起こりえないのは明らかだ。小林氏はそういう事実には触れずに、「軍命」否定のために「家族への愛情」を利用しているのである。それこそ「死者への冒涜」であり、生き残った人たちをさらに精神的に追いつめるものではないのか。
 小林氏は、日本軍が住民に米軍への恐怖心を吹き込んだことや、「戦陣訓」の影響があったことを曖昧(あいまい)にしたうえで、あろうことか住民の中に煽動者がいて「これは軍命令だ!」と嘘をつき「集団自決」に追い込んだと主張する。これほどひどい暴論はない。いったいどこの事例にそういう事実があるというのか。小林氏は具体的に示すべきだ。
 「沖縄出身の兵隊」が住民に手榴弾を配ったと強調するのも、沖縄人同士が勝手に殺しあった、と印象づけるための恣意(しい)的な描き方である。手榴弾などの武器は軍の組織的管理下にあり、軍の方針や隊長の命令に背いて兵隊が勝手に持ち出し、住民に渡して「自決」を促せるものではない。そのことを押し隠し、「沖縄出身の兵隊」や「防衛隊員」に責任をなすりつけるのは卑劣としか言いようがない。
 他にも問題は多々あるが紙幅が尽きた。それにしても、久し振りに沖縄について小林氏が書くくらい9・29県民大会は衝撃的だったのだろう。
 小林氏とは逆に、大会に励まされた人が全国に多数いることを押さえたい。
(小説家)
(第1土曜日に掲載)


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●以下は、小林よしのりの反論である。

2008年12月18日文化面
見出し 
目取真俊氏に反論する>小林よしのり
/「軍馬一頭」だった/解せぬ「主体性なき民」説
  



 目取真俊氏が十一月三日付「風流無談」欄で「事実ねじ曲げる小林氏」「『軍命』否定に家族愛利用」と題して、わしの主張の文脈を強引に悪意に解釈して紹介し、人格に及ぶ中傷までしている。だが目取真氏が小説家なら、米軍の艦砲と上陸による極限状況で、当時の住民がどんな心理状態に陥ったか、少しは想像も交えてリアルに状況を描写してみるべきではないか?
 一体、どこの誰が「軍命があったから」という理由のみで妻子の命を手にかけられるのか?そんな軍命には断固背いて家族と共に逃げ、米軍に殺されようと、日本軍に殺されようと構わないではないか。当時の沖縄県民が、家族愛よりも軍命を選んだなんてことはない、とわしは主張しているのだ。
 目取真氏は「戦時下の沖縄住民は日本軍の全面的な統制下で暮らし、行動していた」という心理状態にあったから、軍命に逆らえなかったと主張する。だが軍命一つで家族が命を奪い合う「全面的な統制」なんて、どうすりゃできるのだ?わしには当時の沖縄県民がそこまで主体性を喪失していたとはどうしても思えない。沖縄県民の家族への愛情は健全であった。そして地域の絆の深さは特に強固だった。だからこそ共同体の「同調圧力」は強かったはずだ。一人が死のうと言い出せば、逆らえぬ空気が生まれる、これが「同調圧力」だ。
 集団自決でもそのような空気が支配したのではないかと思うのだ。中には「軍命」と嘘をついてでも煽動した者もいただろう。目取真氏は実例を示せと言うが、「軍命と聞いた」という証言はたくさんある。一例を挙げれば座間味島では役場職員が「玉砕命令が下った」と住民を集めている。だが軍命はなかったと実証されているのだ。しかも人々は晴れ着姿で集まったという。なぜ晴れ着で?それは「立派に死のう」という主体的「意思」ではないか?
 「日本軍の全面的な統制」というが、第三十二軍が沖縄に来たのは米軍上陸のわずか一年前で、それ以前に沖縄にいた日本軍は「軍馬一頭」と揶揄される程度でしかなかった。沖縄県民は、たった一年間で軍隊に全面的に統制され、家族愛をかなぐり捨て、軍命を絶対視するようになったのか?
 目取真氏は「日本軍が住民に米軍への恐怖心を吹き込んだ」という。では日本軍が吹き込まなければ、沖縄県民は米軍に恐怖心を持たなかったのか?「十・十空襲」で五百四十一トンの爆弾を投下され、那覇市の九割を焼け野原にされても、米軍上陸前七日間の「鉄の暴風」で大型砲弾一万三千発以上、小型砲弾を含め五千百六十二トンもの砲弾を撃ち込まれても、日本軍さえいなければ米軍は人道的だと思ったのか?
 昭和十二年、日本人居留民が中国人の保安隊に虐殺された「通州事件」の大報道以来、他国軍に侵入されると民間人も惨殺されるという恐怖心は、当時の日本人には一般常識としてあった。その意識は沖縄戦のはるか前から、日本軍ではなくマスコミによって作られていたのだ。だからサイパンでも樺太でも「軍命なしで」集団自決はあった。沖縄でも同じである。そしてその恐怖心は決して思い過ごしではなかった。満州に侵攻したソ連兵の日本人への暴行は熾烈(しれつ)を極めたし、沖縄でも米兵による暴虐事件は相当数あった。
 誤解のないよう強調しておくが、わしは日本軍が無謬(むびゅう)だったとは言わない。民間人を戦闘に巻き込む南部撤退という重大な作戦ミスを犯し、その結果敗残兵による壕追い出し、スパイ視殺害などが起きた。これを軍の責任ではないと言う者が本土にはいるが、そういう論者とわしは対立している。伊江島の取材中、わしは老婦人から「防衛隊の人たちは頼まれたら何人でも子供を殺していた」という話を聞いた。防衛隊が悪いのではなく、よっぽど切羽詰った状況だったのだろう。
 集団自決は大変な悲劇であり、今も多くの方々が心の傷を抱えておられることは充分承知している。だが知らねばならぬことは真の原因であって、教科書記述なんかどうでもいい。
 沖縄には徴兵など軍の事務を行う機関しかなく、第三十二軍司令官が沖縄入りしたのが沖縄戦の約一年前。しかも当初は「三等軍」と言われるほど兵力不足で司令官もすぐ交代、やっと戦力が揃ったと思ったら最精鋭部隊を抽出されて作戦全面見直しと、戦う体制を整えるだけで汲々とする有様で、住民統制に特別手間をかけられる状態ではなかった。そんな日本軍がどうやって沖縄県民を軍命一つで集団自決に追い込むほどの「全面的な統制下」に置いたと目取真氏は言うのか?沖縄県民がそんなに簡単に操縦できたのか?
 言っておくがわしは、確実な証拠が出たら軍命説でも構わない。しかし当時の沖縄県民が主体性なき民だということになるのが解せないのだ。
(漫画家)

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目取真俊からの反論

鴾 2007年12月24日文化
見出し 
小林よしのり氏の反論に答える>目取真俊
軍命令・強制曖昧に/住民に責任転嫁する手法

 

 十二月十八日付の本紙文化欄に、私が書いた「風流無談」に対する小林よしのり氏の反論が載っている。相も変わらず沖縄戦における「集団自決」について、家族への愛や県民の主体性か、それとも日本軍の命令かと二者択一的に問題設定している。
 〈わしには当時の沖縄県民がそこまで主体性を喪失していたとはどうしても思えない。沖縄県民の家族への愛情は健全であった〉
 小林氏はこう書いているが、平時であれ戦時であれ、あるいは「集団自決」が起こったその瞬間であれ、県民に家族への愛情があるのは当たり前のことだ。
 「集団自決」における沖縄県民の「主体性」に関しても、小林氏が今さら言うまでもなく、沖縄では一九六〇年代から問題にされ、論じられてきている。行政の幹部や教育、メディアの関係者らが戦時体制下でどのように軍に協力し、民衆を戦争に動員していったか。その実態と主体的責任を問う議論は行われてきているし、現在も引き続き重要な問題であることに変わりはない。
 私が批判しているのは、家族への愛情や沖縄県民の主体性を強調することで、「集団自決」における日本軍の命令・強制という決定的要因を曖昧(あいまい)にし、その事実を否定していく小林氏の手法のまやかしである。
 沖縄には数多くの離島がある。その中で大規模な「集団自決」が起こったのは慶良間諸島伊江島である。そこには水上特攻艇基地と飛行場が建設され、住民もその建設工事に動員されていた。日本兵が民家に寝泊まりするなど、住民と軍との関わりも深く、住民は日本兵から中国で行った捕虜への虐待行為をじかに聞かされている。
 とりわけ慶良間諸島は、特攻基地という機密性の強い基地が置かれたため、日本軍による住民の統制・監視も徹底していた。慶良間諸島では、米軍に収容された住民がスパイ容疑で日本軍に虐殺される事件も相次いで起こっている。それは住民がいかに日本軍に統制・監視されていたかを端的に示している。
 当時の沖縄にあった「同調圧力」とは、このような軍の統制・監視によって作られたものであり、共同体一般のそれとして論じられるべきものではない。また、「集団自決」が家族への愛情を主要因として起こるものでないことは、日本軍のいなかった島では起こっていないことからも明らかである。
 何よりも「捕虜にならずに自決せよ」と日本軍から住民に手榴(りゅう)弾などの武器が渡されたことが、「集団自決」の決定的要因となっていることは、住民の証言や沖縄戦研究によってすでに明らかにされていることだ。
 小林氏はこのような事実や沖縄戦研究を無視して、「通州事件」の報道を強調することでマスコミに責任転嫁し、サイパン樺太の「集団自決」にまで問題を一般化している。小林氏は〈全体主義の島「沖縄」〉と銘打った雑誌『わしズム』の座談会で、渡嘉敷島の赤松隊を海軍の回天の部隊と勘違いしているが、その程度の基礎知識もなく沖縄戦について自分の思いこみを羅列するより、沖縄戦研究者の著作をちゃんと読んだらどうか。
 小林氏は当時の第三十二軍が「住民統制に特別手間をかけられる状態ではなかった」とも書いているが、軍が住民を「統制」しないで戦争ができると思っているのか。戦時体制は行政・議会・労働・報道・教育・民間などのあらゆる組織を軍の統制下に置くことで成り立つのであり、当時の沖縄も例外ではない。第三十二軍が一年前に配備されたと強調し、住民への軍の影響力を小さく見せたいのだろうが、急速に臨戦態勢に入っていく沖縄の状況を事実に即して見るべきだろう。
 慶良間諸島における「集団自決」も日本軍の統制下で起こったことだ。渡嘉敷島においては兵器軍曹によって事前に住民に手榴弾が配られ、さらに防衛隊によって「集団自決」当日も手榴弾が配られている。防衛隊は軍の指揮下で行動しているのであり、手榴弾も軍の厳重な管理下にある。赤松隊長の命令や許可なくして住民に配られることはあり得ない。座間味島においても島の最高指揮官は梅澤氏であり、梅澤氏の許可なくして住民に手榴弾がわたることはないというのは、大阪地裁で行われている裁判で、梅澤氏自身が証言している。
 小林氏は座間味島の役場職員が「集団自決」を引き起こしたかのように書いている。しかし、その職員に事前に「軍の命令」が下っていたという新たな証言が出ている。私は大阪地裁で梅澤氏の証言を傍聴したが、宮城晴美著『母が遺したもの』と梅澤証言の重要な違いもある。梅澤氏が実際に「自決するな」と言ったのなら、それに逆らって役場職員が「玉砕命令が下った」と住民を集めることはあり得ない、と私は考えている。
 私はこの問題は想像より事実の積み重ねが重要だと考えるし、日本軍の命令・強制を否定するために「家族愛」を利用し、住民に責任転嫁するのは卑劣な手法としか思えない。
(小説家)

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●渡名喜守太の論評

鴾2008年01月07日文化
見出し 
沖縄戦認識を問う 目取真・小林論争を中心に>1/渡名喜守太
/軍の責任県民に転嫁/小林氏、推測で持論展開
本文  

 教科書検定問題や「大江岩波沖縄戦裁判」をはじめとする、強制集団死を足がかりにした歴史修正主義者の沖縄戦書き換えが激化する中で、同問題をめぐり目取真俊氏と小林よしのり氏の論争が本紙上で行われた。論争は、目取真氏が雑誌『SAPIO』に掲載された同問題に関する小林氏の漫画を批判し、この目取真氏の記事に対して小林氏が反論、さらに目取真氏が再反論するという展開となった。
 目取真氏の小林氏に対する批判の要点は、小林氏が慶良間で起きた住民の強制集団死において、住民が自ら命を絶ち、肉親に手をかけた理由として家族愛に帰結させていることへの反論と、小林氏が強制集団死の責任を住民へ転嫁していることや二項対立的な問題設定への批判である。目取真氏は、住民が自ら命を絶ったのは、軍が住民に対して手榴弾を配ったからであり、住民は軍の強制や指示、誘導に逆らえない立場にあり、そして手榴弾の配布は隊長の許可がなければ不可能であると述べている。

同調圧力
 これを受けて小林氏は、県民は家族愛より軍命を選んだことはなかった。要するに、強制集団死において住民が自ら命を絶ち、肉親に手をかけたのは、家族愛の故であり、軍命のみで死んでいったのではなかったと述べている。そして、家族愛の強さは共同体の紐帯の強さにつながると持論を展開し、住民は共同体の「同調圧力」によって殺されたとの含みをもたせている。小林氏は、軍が住民に対して死を強要できなかったことの理由として、沖縄の三二軍は県民を完全に統制下におけなかった。それは県民が主体性をもっていたためであるという自説を挙げている。
 小林氏の文章を読んで感じるのは、小林氏が空虚なレトリックを駆使して、日本軍を擁護するために住民、ひいては沖縄県民に責任転嫁をしているということである。
 まず、目取真氏の指摘する通り小林氏は自説の具体的根拠を一切挙げず、「思う」とか「はずだ」などという推測で自論を展開している。就中三二軍が県民を統制下におけなかったという主張は、慶良間での個別具体的事例と沖縄戦一般論のすり替えである。慶良間の住民の痛ましい出来事を論じているのに、主語が県民にすり替えられ、沖縄戦一般論と混同されている。
 慶良間諸島では、狭い島に住民人口に匹敵するほどの日本軍が駐屯した上、軍は機密保持のために住民が島外へ出ることを禁じていたのである。それを沖縄戦一般論と混同させるのは詐術としか言いようがない。隊長の許可なしに手榴弾が住民に配られることがあり得なかったことは梅澤氏も認めるところである。

除外された事例
 小林氏はまた、慶良間以外の地域でも「集団自決」はあったとして、サイパン樺太の事例を挙げている。が、ここで注意すべきは満州の事例が除外されていることである。その理由は、満州での戦争被害者は日本軍や政府の責任を問う問題意識が強く、サイパン樺太は日本軍の責任を問う意識が強くないからであろう。沖縄の戦争被害を相対化するために都合の悪い事例を除外したのだと思われる。要するにサイパン樺太の「集団自決」に関して誰も文句を言わないのだから、沖縄も文句を言うなということだろう。
 小林氏は「教科書改善の会」主催のシンポジウムで次の発言をしている。「保守派の人達から『本土にだって原爆の被害もある』とか『都市空襲の被害もある』といった、戦争の被害は沖縄だけに及んだわけではないことを強調する意見を聞きます。(略)しかし、わしはそれではダメだと思う」。目取真氏への反論で小林氏が行ったのは、まさに沖縄の戦争被害の相対化ではないのか。
 また、共同体による「同調圧力」が住民に犠牲を強いたという主張に関してであるが、氏の用いる共同体という語は沖縄社会と相似関係にあり、現在の沖縄の平和主義までも拡大して同時に攻撃するために都合のよい語である。
 氏は、県民は主体性があったので軍命のみでは死ななかったと主張しているが、当時絶対視されていた軍命でも死を選ばない主体性のある住民が、共同体の「同調圧力」で死を選ぶだろうか。そうでなければ主体性のある民が主体的に死を選択したと言いたいのだろう。いずれにしても誰が免責されるかは明らかである。

 となき・もりた 1964年那覇市生まれ。東洋大学大学院博士後期課程中退。沖縄国際大学非常勤講師。大江岩波沖縄戦裁判首都圏の会呼び掛け人。主な著作「有事法制下の沖縄戦書き換え」(『オキナワを平和学する』)。


鴾2008年01月08日文化
見出し 
沖縄戦認識を問う 目取真・小林論争を中心に>2/渡名喜守太/曽野氏依拠も検証なく/住民死の殉国美談化は破綻
本文  

 小林氏は目取真氏への反論や氏の編集する雑誌の中で、住民が自ら命を絶った(真実は命を絶たされた)理由を「家族への愛」や「共同体の同調圧力」に収斂(しゅうれん)させている。同じく「大江岩波沖縄戦裁判」の原告も、「家族愛」で住民が肉親に手をかけたと主張している。

共同体の同調圧力
 「集団自決」が「家族愛」や「共同体の同調圧力」によって引き起こされたというレトリックは既に一九七〇年代に『ある神話の背景』のなかで曽野綾子氏によって用いられてきた。渡嘉敷島で起きた強制集団死の原因を共同体の圧力に帰結させるために曽野氏は次のように述べている。
 「自分だけが或る運命を選び、それによって、不幸になってしまうことはどうしても損である。しかし他人もまた、共に貧乏くじを引くなら何とかガマンできる。実際的には、それはさまざまな脅迫的な強制となってあらわれる」(『ある神話の背景』)。
 要するに渡嘉敷では、住民が全員同じ運命を選ぶ、一蓮托生(いちれんたくしょう)の強制すなわち共同体の圧力によって集団で死を選択したと想像しているのである。そして「あらゆる法則は湾の中の津波と同様、末端へ行くほど、強固なボルテージの高いものになる」と述べ、渡嘉敷に用いられた共同体の圧力が沖縄社会全体と相似形であることを図式化する。
 そして日本ナショナリストは沖縄が一体化して日本に対し異議申し立てをする場合に、このレトリックを利用して沖縄の行動を「共同体の同調圧力」と呼び、「全体主義」のレッテルを貼ってネガティブキャンペーンを繰り広げるのである。小林氏の手法はその典型である。
 他にも近年の歴史修正主義者が沖縄戦を書き換える際の手口や、沖縄を批判する際に用いるレトリックのモデルは既に一九七〇年代に曽野氏によって確立された。すなわち、沖縄県民はマスコミに洗脳されたとして、地元マスコミと県民を分断し、県民を直接批判することなく、代わりにマスコミをたたく(間接的に県民を批判する)ことにより、県民の怒りや反発を回避し、また、県民に対しては甘言を弄(ろう)して懐柔するという方法である。

住民に責任転嫁
 そしてさらに、慶良間の強制集団死を殉国美談化し、日本軍を免罪免責して日本軍の名誉を守る裏には、日本の沖縄に対する免罪免責までを図る(日本民族の名誉を守る)意図がある。彼らは、沖縄が日本に対し異議申し立てをすることの根底には、日本の沖縄に対する不正の構造があることを認識しているのである。
 日本ナショナリスト、特に小林氏は、沖縄内部の日本擁護者に対する沖縄社会の「裏切り者への憎悪」を批判しているが、曽野氏や「大江岩波沖縄戦裁判」の原告による大江健三郎氏に対する「憎悪」は、まさに日本に対する裏切り者への憎悪ではないのか。
 近年の沖縄戦を書き換えようとする歴史修正主義者は、曽野氏の『ある神話の背景』に依拠しており、書き換えの手法も曽野氏をそのまま踏襲している。しかし、彼らが依拠する曽野氏の主張は一九八〇年代の太田良博氏と曽野氏の論争や、第三次家永教科書訴訟によって破綻(はたん)し、退けられた。現在の歴史修正主義者は曽野氏がとった手法を踏襲しているため、曽野氏の検証は一切行わない。曽野氏を検証することは自己否定につながるからである。
 彼らは当初、住民は崇高な殉国的自己犠牲的精神で命を絶ったという「殉国死」を主張していたが、ここに来て住民が自ら命を絶ったのは「家族愛」や「共同体の同調圧力」という風に理由を変更している。彼らが住民の死に関して理由を変更したのは、当時の住民の証言資料の発見や、危機感をもった当事者たちが次々と証言したために殉国美談化が破綻したからである。
 家族愛から住民が肉親に手をかけたことと軍の強制とは別次元の話である。住民が愛する者を手にかけたのは、他に選択肢が与えられない極限状態での行為である。何故住民がそのような状況に追い詰められたのか、それこそが問われるべきである。これで彼らの本当の目的が日本軍の名誉回復であり、そのために住民に責任転嫁していることがますます明らかになった。
(大学非常勤講師)


見出し 
沖縄戦認識を問う 目取真・小林論争を中心に>3/渡名喜守太/多数者による「同調圧力」/全体主義とレッテル張り
本文  

 昨年秋、小林よしのり氏の編集する雑誌『わしズム』24号で沖縄特集を組み、沖縄戦歴史認識問題から移住の問題までとりあげている。以前小林氏が出した『沖縄論』と比較すると反米色が消え、沖縄人のアイデンティティーを日本人に同一化させようとする狙いが影をひそめたかにみえるが、依然小林氏は、沖縄が日本に対して異議申し立てをするのは、沖縄人が独自のアイデンティティーを持ち、国民化(日本人化)していないからであるという認識を抱いているため、沖縄人を日本ナショナリズムへ統合しようとする目的はそのままである。『わしズム』では反米色が消えたため、逆に沖縄人を国民化しようとする目的に的を絞ってきたといえる。

レッテル
 「全体主義の島『沖縄』」という挑発的なテーマが示すとおり、全体の基調をなすのは、日本に対して異議申し立てをする沖縄への反感であり、それをどのように国民化するかということが重要な関心事となっている。すなわち、日本にとって消したい不都合な記憶を持つ沖縄の過去を消し去り、いかに沖縄人を日本国家に対して忠誠心を持つように改造して、日本に包摂するかが重要なテーマになっている。
 『沖縄論』のときのように、沖縄人のアイデンティティーについて正面から論じることを避け、問題を意識させず、無意識に日本人アイデンティティーを植えつける手法をとっている点で巧妙化したといえる。
 日本側の執筆者に加えて、沖縄内部の人間に沖縄批判をさせ、沖縄内部にも沖縄の風潮に対する反対意見が多数存在し、沖縄が一枚岩でないことをアピールすると同時に、彼らを沖縄社会から「同調圧力」をかけられている被害者に仕立て、沖縄を「全体主義の島」であるかのような印象を与えようとしている。
 では、氏のいう全体主義とは何かといえば、今回の沖縄戦書き換え問題でのマスコミの論調をはじめ、県議会や全市町村議会が検定意見撤回の意見書を決議をしたことと、県民大会で大勢の人が集まったことを指しているようである。それ以外のことは何も具体的な事例を挙げずに沖縄を「同調圧力」の強い全体主義の島というレッテルを貼っているのである。
 氏は、今回の沖縄戦書き換えに怒りを表明する沖縄の風潮を、マスコミがつくりあげた「同調圧力」によるものと主張するが、それならばこれまで口を閉ざしていたにもかかわらず、今回証言者が重い口を開いて自らの辛い体験を語ったのはなぜか。それは体験者が、沖縄戦の実相を抹殺しようとする動きに対して危機感を感じたためではないのか。沖縄の怒りがマスコミによってつくられたものであるならば、証言者の証言も嘘であると言っているに等しいのである。

沖縄戦の記憶
 小林氏は「沖縄の口伝の歴史に勝つ」ことを目標としている旨表明しているが、これは自分の望む結論に沿うよう事実を捏(ねつ)造(ぞう)する結論ありきの表明にほかならない。
 これまでも沖縄戦を書き換えようとする動きはあったが、その都度県民の反発で挫折した。それほど沖縄人にとって沖縄戦の記憶は血肉化されているのである。小林氏は『差別論スペシャル』で部落解放団体が行う糾弾活動に対し、その場では差別を行った者を大勢でいじめているように見えるが、その場を出て社会に出ると、部落解放運動者は社会の少数者であるとして理解を示している。
 沖縄社会の事例も全く同じ図式である。沖縄も日本社会におけるマイノリティーである。しかし、氏は沖縄社会に対しては全体主義と批判するのである。これは小林氏のダブルスタンダードであり、あえてそれをおかしても批判したいのである。これはマジョリティーによるマイノリティーに対する「同調圧力」である。
 小林氏はさまざまな被害者を、権威と化した弱者、すなわち、弱者という立場を特権化した存在として批判する。『脱正義論』において氏は、沖縄を権威と化した弱者として認識している。さらに沖縄は日本と異なる独自の歴史、文化や言語を持ち、独自のアイデンティティーを形成した。その上、日本からの差別を受けた経験や沖縄戦で筆舌に尽くせぬ経験をしたことから、平和主義を誓ってきたため、日本ナショナリストの小林氏にとって沖縄は、反日的言論・思想の空間であり、本質的に韓国や中国と同じく相容れない存在なのである。
 沖縄に甘言を弄(ろう)するのも沖縄の口伝の歴史に勝つため、すなわち、沖縄戦の体験者の記憶を消し、書き換えるための方便である。小林氏は本紙における目取真氏との論争で、沖縄県民は主体性のある民だと書いたが、主体性のある民がなぜ、「同調圧力」に屈して県民大会に動員されるのであろうか。沖縄戦においては主体性をもって自ら命を絶ったが、県民大会においては「同調圧力」に屈する主体性なき民だというのだろうか。
(大学非常勤講師)
(次回は14日に掲載します)




鴾2008年01月14日文化
見出し 
沖縄戦認識を問う 目取真・小林論争を中心に>4/渡名喜守太
/重大な人権侵害の被害者/国際基準で法的責任追及を
本文  

 小林氏とその協力者は、沖縄が蒙(こうむ)った被害に関して、沖縄が日本に抗議することを、「被害者意識」と非難中傷する。はたして彼らの非難は正当なのだろうか。テオ・ファン・ボーベン氏は、重大な人権侵害の被害者の救済に関する国連報告で、重大な人権侵害に関して、被害者は救済されるべきであると述べ、被害者を次のように定義する。

国家の責任
 被害者は「個人であれ集団であれ、身体的心理的被害、情緒的苦悩、経済的損失または基本的自由の相当な侵害を含む危害を受けた人々」であり、被害者とはこのような直接的被害を受けた者の家族や関係者も含むとしている。特に被害者としての個人と集団の一致は先住民の場合に顕著であると述べる(「ファン・ボーベン国連最終報告書」)。
 受けるべき救済の内容としては、被害回復すなわち原状回復、賠償、満足、再発防止などである。また、重大な人権侵害の種類に挙げられているものは、集団殺害・強制的失(しっ)踪(そう)・強制労働・略式または恣(し)意(い)的処罰・社会的政治的人種的宗教的文化的性的理由に基づき組織的なやり方または大量規模で行われる処刑・住民の追放強制移住などである。そして加害行為を行ったものは処罰されなければならないとし、国家は加害者の処罰を怠った場合責任を逃れられないとしている。
 これを沖縄戦にあてはめると、住民のスパイ視虐殺、投降者虐殺、食料強奪、避難壕追い出し、強制集団死、八重山の住民強制退去による戦争マラリア、「従軍慰安婦」、朝鮮人軍夫強制連行などは、みな国際基準での重大な人権侵害に含まれるのである。
 一九九〇年代以降に登場した日本の歴史修正主義の攻撃に対して沖縄側でも研究者や運動家が立ち上がり応戦しているが、同じ歴史修正主義の攻撃にあっている「従軍慰安婦」問題に比べて日本軍の加害者や国家の法的責任を追及する視点が見えてこない。これまでの沖縄の戦争責任の追及の仕方は道義的責任の追及のみだったといっても過言ではない。強制力や処罰を伴う法的責任の追及はほとんどなかった。

連鎖関係
 ファン・ボーベン氏は、国家の不処罰(加害者の免責)と人権侵害の間には大きな連鎖関係があると指摘している。復帰の頃、久米島事件の首謀者がメディアにおいて全国民の前で開き直りの態度を示したが、沖縄側や日本政府にも加害者の法的責任を問う意見はほとんどでなかった。数少ない例外は、事件の被害者の遺族が、責任者を厳罰に処すようにとの嘆願書をしたためたことである。日本政府には人権侵害に対して、加害者の処罰、被害者の救済を行う義務があったが、法的に加害者の責任を問おうとしなかった。これらは、沖縄側にも政府にも日本軍関係者に対する法的責任の追及の意識が欠けていたことを示す好例である。
 当時は東西ドイツで国内刑法に戦争犯罪者に対する時効撤廃が導入され、国際社会においても戦争犯罪時効不適用条約が締結された時期であり、戦争犯罪追及が一つの盛り上がりを見せた時期であったので沖縄側の認識の欠如は悔やまれる。
 このように沖縄側に戦争犯罪の追及、国家や加害者に対する法的責任の追及の認識が欠如している理由としては、援護法の適用によって遺族年金を支給されたことや、沖縄イニシアチブグループに代表される意見に見られる、日本との一体化の障害として厳しい責任の追及が忌避されたことなどが挙げられるが、戦争責任問題、歴史認識問題に法的責任の追及、戦争犯罪の追及という視点が導入されたのは、九〇年代以降初めて問題化した「従軍慰安婦」問題においてであり、元「慰安婦」支援者側が歴史修正主義と闘うなかで見出した視点である。
 小林氏や氏の協力者たちの沖縄戦の個人および集団としての被害に対する非難は卑劣としかいいようがない。沖縄戦の被害者が国際基準に照らしてどのような救済を受けたとして、非難し、金ほしさの手段であると誹(ひ)謗(ぼう)中傷するのであろうか。スパイとして虐殺された住民の名誉はいつ回復され、加害者の処罰はいつなされ、国家による謝罪はいつなされたのだろうか。
(大学非常勤講師)



鴾2008年01月15日文化
見出し 
沖縄戦認識を問う 目取真・小林論争を中心に>5/渡名喜守太
/人道に対する罪を構成/残虐行為は少数者迫害
本文  

 沖縄戦における日本軍による沖縄人に対する加害行為、重大な人権侵害にはどのような法が適用され、どのような罪にあたるのだろうか。まず考えられるのは「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(ハーグ条約)などの戦争犯罪法の適用である。
 しかし、従来の戦争法規は交戦国に対して適用されるため、自国軍による自国民への残虐行為、すなわち日本軍による沖縄人に対する加害行為には適用されないという異論が出ることが予想される。「従軍慰安婦」問題においても、日本政府によって同様の抗弁がなされた。

戦争法規の適用
 では、日本による琉球統治は正当だったのか。日本が琉球の領土支配を正当化するためには、日本が琉球を実効支配してきたか、もしくは琉球人に日本人としての帰属意識があることを証明する必要がある。紙幅の関係上結論を先に述べると、日本による琉球の日本の領土への編入は、国際法上の主体である琉球の意思を無視した、明治政府による暴力的で一方的な併合であり、国際法上大きな疑義があるということである(上村英明先住民族の「近代史」』)。
 日本政府による沖縄統治の正当性が崩壊すればハーグ条約など従来の戦争法規の適用も可能になる。特に住民をスパイ視して殺害したことはハーグ条約の二九条(間諜の定義)や四六条規定の家の名誉の尊重などに違反することが考えられる。また、老若男女を問わない戦場での根こそぎ動員は「強制労働条約」に違反すると思われる。
 そして慶良間における強制集団死に関しては、戦隊長のコマンド(上官)責任が問われだろう。しかし、何よりも、日本軍による沖縄住民への残虐行為は沖縄人であるが故の行為である。沖縄語で会話する者に対し、有無を言わせず殺害する命令を出したことは、沖縄人であるが故に残虐行為が行われたことを象徴する事例である。これは、人種的文化的理由による残虐行為であり、明らかに少数者への迫害である。日本軍の沖縄人に対する残虐行為は、人道に対する罪を構成する。
 しかし、日本政府は過去の日本による戦争被害者救済に関して消極的である。今回の問題でも政府が強気に出られる背景には、基地問題などで沖縄の声を潰してきた自信もあるであろうし、何よりも近年の日本国内におけるナショナリズム高揚がある。
 沖縄の問題を国内問題に留めておくことは沖縄にとって不利である。この状態を打開するためには、問題を国際化するのが有効だと思う。アジアや世界の戦争被害者との連携や国際機関などでの人権救済申し立てなど、国際社会において国際基準に照らして被害の救済を訴えるべきだと思う。

ナショナリズム
 この連載の最後にあたり、小林氏の唱導するナショナリズムについて触れておきたい。小林氏と宮城能彦氏は『わしズム』の座談会中、沖縄側の日本ナショナリズム批判について「(筆者注:沖縄側は)自分たちはアナーキストだと思っているかもしれないけど、実はナショナリストですよね」と発言、批判しているが、ナショナリズムにも諸相があり、支配者のナショナリズムもあれば、被支配者の解放のためのナショナリズムもある。
 丸山真男は戦前の超国家主義について、「日本が超国家主義に走った理由は、政教一致の政治体制をとり、本来なら個人の領域である道徳に関して国家が決定権を握ったためで、個人の内面まで支配したからである。要するに私領域の公領域化である。そして政治と個人の内面を支配した国家は、自らの内に正当性の規範(国体)を持つため、独善に走り、国際規範にも服しないことになる」(要約)と分析している。
 これはまさに小林氏の提唱するナショナリズムそのものである。沖縄はこのようなナショナリズムにはアイデンティファイしないといっているのである。小林氏は、日本はアジアの独立を助けた解放者と主張している。アジアのナショナリズムは是認し、沖縄のナショナリズムを批判するのは筋が通らない。(大学非常勤講師)
(おわり)


●読者からの投稿。

<論壇>山城きよ子/教科書問題連載を読んで/体験者動かす“事実隠し”
本文

  

 本紙文化面に連載された「沖縄戦認識を問う 目取真・小林論争を中心に」(渡名喜守太沖縄国際大学非常勤講師、一月七日―十五日)を読ませていただきました。
 昨年九月二十九日、宜野湾市で開催された県民大会に、私は夫と友人の三人で参加しました。これまでの歴史教科書にあった記述を「書き換えさせない」という県民の怒りの声を自分の目で確かめ、私自身もその意志表示をしたい思いにかられ、主体的に行動したもので、小林よしのり氏の言うようなマスコミが作り上げた「同調圧力」に屈したからではありません。
 連載の一月九日付に、「これまで口を閉ざしていた人たちが重い口を開いて自らのつらい体験を語ったのはなぜか。それは、体験者が沖縄戦の実相を抹殺しようとする動きに危機感を感じたためではないか」とありましたが、私もそのように感じている一人です。
 といいますのは、小学校六年のときであったと記憶しているのですが、作文の宿題に、お父さん、お母さん、あるいは、おじいさん、おばあさんなど、戦争体験者から戦争について話を聞き、その感想を書いてくること、というのがありました。両親が忙しかったため、私は祖母にそのことを尋ねました。すると、祖母は突然、両耳をふさぎ、うずくまるような格好をすると、方言でこう言いました。「あのような戦世(イクサユー)があったことなど思い出したくもない。戦のことは二度と持ち出さないでくれ」。
 そのときの祖母の様子は今でも思い出され、子供のころは理解できなかったけれど、太平洋戦争について、映画を見たり本を読んだり大人たちの話を聞いているうちに、戦争になると人は何とむごいことをするのだろうか、戦争は究極の悪行であることを想像できるようになりました。そして、戦場で砲弾が飛び交っている中を祖母と二人で逃げ惑っている夢をよく見るようになりました。
 宜野湾市で開催された県民大会の壇上で、声を震わせ真実を語り始めた人たちの姿に接し、戦世を生き延びてきた人たちは戦後どのような思いで生きてきたのだろうと思いをはせるとき、つらかった過去は忘れよう、忘れてしまわなければならないことだと自分や家族に言い聞かせてきたに違いない、と思いました。
 そのように言い聞かせてきたはずなのに、今、戦争中に起きたその実相を明らかにしたいという人たちが次々に現れてきた。それはなぜなのか。過去の事実を消してしまおうとする人々への怒りの告発ではないでしょうか。
 そのような真実の叫びに真摯(しんし)な態度で向き合おうとしない人々の存在を知り、とても残念でたまりません。本土の知識人たちの間で、県民大会に集まったのは、三万人か四万人程度だろうと語られていると聞くに至っては、数字をあげつらうのは何のため? と悲しくなります。百歩譲って三万人でも四万人でもいいのです。過去に起きた歴史上の事実は隠そうとしても隠し通せるものではないことが白日の下にさらされている。真実を明らかにするそのときが今、やってきているのだと思います。
与那原町、60歳)

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