文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「太田良博ー曽野綾子論争」(沖縄タイムス)を読む。

dokuhebiniki2007-12-23

右の写真は、取材中の曽野綾子が、赤松某(?)や、赤松隊員等と名古屋の旅館で同席した写真と赤松手記「私たちを信じてほしい」。→

http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/840.html




曽野綾子が「沖縄タイムス」紙上で(1985年4月8日から連載 )、「鉄の暴風」の執筆者の一人である太田良博(略歴は末尾参照)と、「沖縄集団自決」問題をめぐって論争し、論理的に追い詰められた曽野綾子が興奮し、太田良博に向かって、「太田良博は分裂症じゃないのか……」と罵倒したとかいう文章があることは知っていたが、その記事がなかなか見つからず、近いうちに国会図書館にでも行って沖縄タイムスでもめくりながら、情報収集をしようかな、と思っていたところ、本ブログの読者の方から詳しい情報を提供いただき、「太田良博ー曽野綾子論争」の全文とその前後の記事類を、やっと読むことが出来るようになったわけだが、なんと驚くなかれ、そこで曽野綾子は、太田良博に、完膚なきまでに論破され、誰が見ても明らかなように、曽野綾子の『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題、ワック)の赤松擁護の論理は完全に破綻に追い込まれているではないか。太田良博はすでに故人のようだから、曽野綾子としては、「死人に口なし」というわけで、太田良博が提起した問題や曽野綾子への批判を封印したまま、自分に都合のいい理屈を捏ね回して、言いたい放題を続け、そして多くの保守派の論客達も、大江健三郎の『沖縄ノート』や曽野綾子の『ある神話の背景』という原典に当たることもせず、また「太田良博ー曽野綾子論争」のような重要な論争などに一顧だにせずに、曽野綾子の自信満々の暴論を真に受けて、付和雷同しつつ、沖縄や沖縄住民を、あるいは沖縄住民の証言を無視し、冒涜し続けてきたというわけだろう。太田良博と曽野綾子のやりとりは、なかなか刺激的で、僕が、何回かにわたって曽野綾子の『ある神話の背景』の問題点として指摘したことなども、すでに太田良博がこの論争の過程で指摘している。以下は読者からのメールの一部である。

■読者からの情報提供より……。
2007/12/22 (Sat) 20:29:28


情報提供です。「ある神話の背景」の曽野の取材方法等に関して少し調べると曽野自身が語っている箇所が2つありました。
1つは「鉄の暴風」に関する太田氏との論争で下記にあります。 http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/103.html
そこには、『私は赤松氏とは、ほかの人ほど接触しなかった。こういう場合の当事者が何をいっても弁解だということになることは目に見えているから、私はむしろエネルギーを省きたかったのである。はっきりしておきたいのは、私が赤松氏をかばう理由は何もないということだ。私は赤松氏の親類でもない。取材の時に一度訪問したことはあるが、それ以来遺族との交渉もない。 』と書かれています。 もう一つは下記にあります。 http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html
そこには、『もとより私には特別な調査機関もありません。私はただ足で歩いて一つ一つ疑念を調べ上げていっただけです。本土では赤松隊員に個別に会いました。当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。グループで会うと口裏を合わせるでしょうが、個別なら逆に当時の赤松氏を非難する発言が出やすいだろうと思ってそのようにしました。』と書かれています。
「ある神話の背景」30ページ以下には、昭和45年9月17日において曾野が赤松等に会い取材したことが明記されています。
ところが赤松が1971年6月21日付で投稿した雑誌 ?「青い海」−下記URLの中の雑誌コピーを拡大すると写真と以下のような記載があります。 http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/840.html
見開きコピーの左ページ写真には『つい先頃、名古屋で沖縄の召集兵も交えて旧隊員が旧交をあたためた。取材中の作家・曾野綾子さんの姿もみえる』とあり、写真右側の上座の人物は見開き右ページの赤松その人にみえる。右ページの写真は若い頃と思われる写真と似ていて後ろ姿の人物を除いて最も年長にみえる。名古屋の取材の中に赤松が居た可能性は高い。少なくとも時間的に赤松の投稿が名古屋の会合を踏まえているとはいえる。
そうであれば前記の(曾野は赤松と一度しか会っていない)という言い分は意識的な嘘である。太田良博氏が複数の自決失敗者を集めた証言と違って赤松は渦中の張本人に他ならない。季節の異なる時期に大阪と名古屋という遠く離れた地域のホテルと旅館 ?で雑誌の連載の準備のため取材をしている。
これらの資料を照合すると
Ⅰ 曽野は赤松と複数回会っている可能性が強い。
Ⅱ 曽野は、赤松隊の一人一人と個別に取材したというのは明らかな嘘。
ということになります。 取材法についてこのような嘘をつく必要は赤松への肩入れ以外考えられません。

 ここには、著書の中立性と客観性を保つために、「赤松には一度しか会ったことはない。」「本土では赤松隊員に個別に会いました。」「グループで会うと口裏を合わせるでしょうが、個別なら逆に当時の赤松氏を非難する発言が出やすいだろうと思ってそのようにしました。」と言う曽野綾子の取材方法論に関する問題など、重要問題がたくさん含まれているが、中でも僕が重要だと思うのは、太田良博の執筆した『鉄の暴風』の取材源と情報源の問題である。言うまでもなく、曽野綾子の『ある神話の背景』の最重要テーマは、大江健三郎の『沖縄ノート』批判なんかではなく、「沖縄集団自決には軍命令があつた……」と、太田良博等が執筆した『鉄の暴風』への批判であり、そこで曽野綾子は、太田良博等への直接取材をもとに、『鉄の暴風』の内容は、集団自決事件の生き残りでも当事者でもない、現場にいなかったわずか二人の情報提供者(宮平栄治と山城安次郎)から得られた「伝聞情報」を元にデッチアゲられたウソッパチ(神話)であると推論した上で、『鉄の暴風』の記述の資料的実証性を徹底的に批判し、したがって『鉄の暴風』の主張は信用できないと結論付けているわけだが、太田良博によると、「集団自決事件の当事者でもないわずか二人の情報提供者から得られた伝聞情報を元に……」デッチアゲたという曽野綾子の推論は、それこそまったく根拠のない妄想であり、出鱈目らしい。曽野綾子は、確かに、太田良博は、曽野綾子の取材に対して、「集団自決事件の当事者でもないわずか二人の情報提供者」の名前(宮平栄治と山城安次郎)を挙げたというかもしれないが、ここには曽野綾子の作家として、あるいはジャーナリストとしての未熟さが露呈していると言わざるをえない。作家やジャーナリストの一回か二回の取材に、取材対象となった者は常に、すべて真実を証言するはずであり、その証言は一切の記憶違いや記憶漏れもないはずだ、というのは幻想であって、そんな、或る意味では、かなりいい加減な証言や情報を鵜呑みにしてそれを論拠に推論を繰り返せば、やがて論理破綻に追い込まれるのは火を見るより明らかだろう。太田良博によると、『ある神話の背景』を執筆中の曽野綾子の取材に際して、「二人の名前」(宮平栄治と山城安次郎)をたまたま思い出したので、気軽にそう答えただけで、『鉄の暴風』が、その二人の伝聞情報や伝聞証言だけを元にして出来た神話だというのは、曽野綾子の思い込みと勝手な妄想に過ぎない、と言う。つまり、沖縄タイムスの太田良博等は、『鉄の暴風』の渡嘉敷島の集団自決の項は、新聞社の企画した「集団自決」の生き残りや目撃者達との座談会に出席した上で、彼等の体験談や目撃談を元に書き上げたものだ、と言う。太田良博の言い分を認めるとすれば、曽野綾子の主張と180度違うことになる。曽野綾子は、さかんに自分は、現地取材と当事者への取材に基づいて書いたと言って、それを売り物にしているわけだが、『鉄の暴風』も、現地取材と当事者への取材に基づいて書いたものだとすれば、『鉄の暴風』は伝聞情報を元にしたデッチアゲだ、証拠も何もない神話だ、という曽野綾子の主張は破綻することになるわけだが、いったい、曽野綾子はどう対応するのか。というわけで、曽野綾子の太田良博に対する対応が、「太田良博は分裂症か」(笑)という発言になったらしい。太田良博は次のように曽野綾子の論理破綻を指摘し、曽野綾子の「伝聞情報説」を批判している。

沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」2回目
赤松大尉の暴状


まず、曽野綾子氏の「伝聞情報説」が事実に反することを立証するために、事のいきさつをのべておく。『鉄の暴走』の渡嘉敷島に関する話は、だれから聞いて取材したかと曽野氏に聞かれたとき、私は、はっきり覚えてないと答えたのである。事実、そのときは、確かな記憶がなかったのである。ただ、はっきり覚えていることは、宮平栄治氏と山城安次郎氏が沖縄タイムス社に訪ねてきて、私と会い、渡嘉敷島の赤松大尉の暴状について語り、ぜひ、そのことを戦記に載せてくれとたのんだことである。そのとき、はじめて私は「赤松事件」を知ったのである。
宮平、山城の両氏は、曽野氏が言うように「新聞社がやっと那覇で捕えることのできた 証言者 」ではなく、向こうからやってきた 情報提供者 であって、「それでは調べよう」と私は答えたにすぎない。そのとき、私は二人を単なる情報提供者と見ていたのだから、二人から証言を取ろうなどとは考えなかったし、二人も、そのとき、赤松事件について詳しいことは知っていなかった。
〈二人とも、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが…〉と、『ある神話の背景』のなかに書いてあるのは、曽野氏の勝手な解釈である。それで私は、あのとき、なんのメモもしなかったし、二人はそのことを告げただけで帰ったのである。その後、『鉄の暴風』が出版されるまで、いや、出版後も長く彼らとは会っていない。 

僕は、曽野綾子のように『鉄の暴風』は、伝聞情報を元にしているから信用できない、という言い切れるものかどうか、『鉄の暴風』のその記述内容が詳細で細部にまで及んでいるが故に、嘘や勘違いもかなりそこには含まれているだろうが、しかし伝聞情報だけに依拠した、まったくのデッアゲで出鱈目な話(神話)だろうという推論には、少し疑問に思っていたが、この太田良博の『鉄の暴風』執筆時の周辺証言で、疑問は氷解した。真実か虚偽かは別にしても、『鉄の暴風』の記述内容が、集団自決の生き残りや目撃者の証言を元にしたものであることは、これで間違いないだろうと思う。それを否定することは、おそらく曽野綾子でも、出来ないだろう。なぜなら、曽野綾子の好きな当事者の証言なのだから……(笑)。これに対して、曽野綾子の反論は、かなりいい加減なもので、『鉄の暴風』は二人の情報提供者の伝聞情報に依拠して製作されたという曽野綾子の「伝聞情報説」が根底から覆されているにもかかわらず、まともにその問題に反論しようとせず、また「集団自決」や「住民虐殺」という問題の本質に立ち向かう気もないようで、曽野綾子の反論の多くは、沖縄在住のジャーナリストを「小馬鹿」にして見下しつつ、東京在住の一流作家を看板に、東京から沖縄を見下すかのように、お説教や空威張りに終始しているというのが、僕の感想である。たとえば曽野綾子は、太田良博に反論すべき記事の冒頭で、最近行って来たばかりの「エチオピア訪問」の話を延々と繰り返した挙句、次のように言っている。

そういうわけで私は今、太田良博氏の「沖縄戦に“神話”はない」に反論するにもっともふさわしくない心情にいる。沖縄戦そのものは重大なことだが、太田良博氏の主張も、それに反ばくすることも、私の著作も、現在の地球的な状況の中では共(とも)にとるに足りない小さなことになりかけていると感じるからである。

曽野綾子が、『ある神話の背景』の記述に関する太田良博との本格的な論争を回避しようとしていることは明らかで、論点のすり替えと問題の隠蔽を工作しつつ、つぎのような見当違いの批判を太田良博に投げつけている。

「「沖縄戦」から未来へ向って」(曽野綾子沖縄タイムス)(3)
ジャーナリストか


太田氏のジャーナリズムに対する態度には、私などには想像もできない甘さがある。
太田氏は連載の第三回目で、「新聞社が責任をもって証言者を集める以上、直接体験者でない者の伝聞証拠などを採用するはずがない」と書いている。
もしこの文章が、家庭の主婦の書いたものであったら、私は許すであろう。しかし太田氏はジャーナリズムの出身ではないか。そして日本人として、ベトナム戦争、中国報道にいささかでも関心を持ち続けていれば、新聞社の集めた「直接体験者の証言」なるものの中にはどれほど不正確なものがあったかをつい昨日のことのように思いだせるはずだ、また、極く最近では、朝日新聞社が中国大陸で日本軍が毒ガスを使った証拠写真だ、というものを掲載したが、それは直接体験者の売り込みだという触れ込みだったにもかかわらず、おおかたの戦争体験者はその写真を一目見ただけで、こんなに高く立ち上る煙が毒ガスであるわけがなく、こんなに開けた地形でしかもこちらがこれから渡河して攻撃する場合に前方に毒ガスなど使うわけがない、と言った。そして間もなく朝日自身がこれは間違いだったということを承認した例がある。いやしくもジャーナリズムにかかわる人が、新聞は間違えないものだとなどという、素人のたわごとのようなことを言うべきではない。 

『鉄の暴風』の情報源は誰なのか、という問題の本質に立ち向かおうとせずに、問題を摩り替えた、この曽野綾子のコケオドシの、いかにも偉そうな傲慢な発言の中には、とんでもない発言が含まれていることに、曽野綾は気づいていないようだから指摘しておくが、それは≪新聞社の集めた「直接体験者の証言」なるものの中にはどれほど不正確なものがあったかをつい昨日のことのように思いだせるはずだ……≫と言う発言で、これは見方を変えれば、曽野綾子の現地取材や当事者達からの取材内容も、時と場合によってはまったく信用できないということになるわけで、自分で自分の首を絞めるような、それこそ自縄自縛に陥る発言だろう。それとも、曽野綾子は、例によって、自分が取材し、聞き取り調査をした情報だけは真実だとでも妄想しているのだろうか。とすれば、曽野綾子こそ、「分裂症」じゃないの(?)、ということになろう。『鉄の暴風』における、「彼らが西山A高地に陣地を移した翌二十七日、地下壕内において将校会議を開いた……」という太田良博の記述に関して、副官の知念少尉(沖縄出身)からの直接証言を論拠にして、曽野綾子は、太田良博の記述の実証性を全面否定し、こんなことを書いている。

知念少尉の証言



太田氏は『鉄の暴風』の中で、前述の知念氏について次のように書いたのだ。

「日本軍が降伏してから解ったことだが、彼らが西山A高地に陣地を移した翌二十七日、地下壕内において将校会議を開いたが、そのとき赤松大尉は『持久戦は必至である。軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食糧を確保して、持久態勢をととのえ、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間の死を要求している』ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり慟哭し、軍籍にある身を痛嘆した」

太田氏にとって知念副官という人物は、どちらの顔がほんとうだったのか。しかし太田氏はご丁寧にも、『鉄の暴風』は決してうそではないのだ、と次のように今回の反論の中でも強調する。

「住民の自決をうながした自決前日の将校会議についての『鉄の暴風』の記述を曽野氏はまったくの虚構としてしりぞけている。(中略)が、あの場面は、決して私が想像で書いたものではなく、渡嘉敷島の生き残りの証言をそのまま記録したにすぎない」


つまり知念副官が赤松隊長の残虐さに慟哭したという場面も伝聞証拠ではないというなら、知念氏の内面の苦悩を書いた場面は特に知念氏自身から聞いて書いたのだろうと思うのだが、その知念氏が「真相を語っているとは思えない」と太田氏は自らいう。太田氏という人は分裂症なのだろうか。

 曽野綾子としては、自分の文章は知念副官からの直接情報だが、太田良博の知念副官の「内面の苦悩」は、伝聞情報だから信用できない、と言いたいのであろうが、僕は必ずしもそうは思わない。知念副官は、確かに沖縄出身の軍人であったろうが、赤松隊の副官であるという立ち位置から考えて、知念副官が赤松某や赤松隊に都合の悪い不利な証言をするはずがなく、つまり知念証言が曽野綾子が考えているように完全に信用できるはずもなく、また同時に、同じ沖縄県人として「知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり慟哭し、軍籍にある身を痛嘆した」と、集団自決の生き残りの人たちや目撃者達が、知念少尉(沖縄出身)の心の奥を推察して、つまり知念副官の「内面の苦悩」を代弁し、証言したとしても、あながち出鱈目な妄想とは言いがたいだろう。それにしても、不可解なのは、先日の大阪地裁の法廷でも話題になっていたが、つまり大江健三郎の『沖縄ノート』批判でもそうだつたが、作家やジャーナリストが、ある個人の「内面」や「内面の苦悩」を描くことが、何か悪いことのように考えられていることで、そもそも曽野綾子は、いったい、自分以外の人物の「内面」や「内面の苦悩」等を、類推したり、推論しつつ書いたことは一度もない、と言えるのだろうか。言えるはずがない。曽野綾子のこの太田良博に対する反論自体が、充分に「内面」に立ち入っているではないか。それにすら鈍感だとすれば、曽野綾子の鈍感力もたいしたものだと言わなければなるまい。曽野綾子が、充分な推考も校正もせずに、方々のメディアに書き散らす誤字・誤読だらけの文学作品やエッセイがつまらない所以である。しかし、それにしても、沖縄の地方紙とはいえ新聞紙上で、論争のテーマそのものには正面から立ち向かおうとせずに、問題点をはぐらかしつつ、論争している相手に向かって、「太田氏という人は分裂症なのだろうか。」と平気で書く曽野綾子の神経の太さというか、差別根性丸出しの鈍感さというか、その底抜けの馬鹿さ加減には脱帽する。いずれ、小生のような「へそ曲がり」が、「沖縄タイムス」で気楽に書き飛ばした原文を探し出してきて、問題の俎上に乗せるなんて、考えもしなかったのだろう。



■太田良博の経歴

おおた りょうはく氏 著述業、1918年=大正7年那覇市生まれ。早稲田大学政経学部中退、沖縄タイムス記者、琉球大学図書館司書、琉球放送局ニュース編集長、琉球新報資料室長。著書『異説沖縄史』『沖縄にきた明治の人物群像』ほか

■太田良博の曽野綾子『ある神話の背景』批判全文(沖縄タイムス 1985)http://yamazakikoutarou3.blogspot.com/2007/12/blog-post_6410.html

曽野綾子の反論・全文(沖縄タイムス 1985)
http://yamazakikoutarou3.blogspot.com/2007/12/blog-post_23.html


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