文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

保守論壇の面々よ、曽野綾子の『ある神話の背景』を読み直せ。


僕は、ここ一ヶ月近く、大江健三郎の『沖縄ノート』における沖縄集団自決に関する歴史記述をめぐる名誉毀損裁判問題に持続的に深入りしているが、何故、それほど執拗にこの裁判問題に深入りし、いつまでも拘るのかと言えば、それは、この名誉毀損裁判が、単なる凡庸な名誉毀損裁判にとどまらず、現代日本の文学や思想や哲学、あるいは日本の歴史や歴史学の動向に深くかかわる問題性と思想性を持った裁判だと思うからだ。むろん、僕が関心を持っている問題は、集団自決に「軍の命令や強制」があったかどうかとか、歴史教科書に「軍命令」を記述すべきか削除すべきか、というような当世風の時局的な問題ではなく、まつたく別のところにある。実は、この問題を追求していく過程で思い出したのだが、僕の父親は、すでに結婚し二人の子持ちだったが、戦争末期に徴集・徴兵され、沖縄の「南大東島」という小さな島に一兵卒(?)として出征している。戦局不利ということで、老兵でさえもが激戦地へ投入されたのであろう。しかるに、沖縄方面は米軍の総攻撃でほぼ全滅という噂が流れ、父親もダメだろうと思われていたが、幸運にも九死に一生を得たのだろうか、なんとか生き延びて、家族の元に無事に帰還できたらしい。母親の話によると、敗残兵として本土に上陸した父は、帰郷の日、薩摩半島の中央部を縦断する田舎の国道を、当時はまだ舗装されていず、田舎の山道という感じだったが、妻子の待つ故郷の家を目指してトボトボと歩いていたらしい。母親は、父が、今、国道を歩きながら帰ってくるところだ……という話を、先回りした知人から聞かされて驚いたらしいが、その前後の詳しい話は、今となってはわからないのだが、しかし敗残兵として復員し、田舎の山道をトボトボと歩いている父親の姿を想像すると、その度に、胸の奥から熱いものがこみ上げて来る。むろん、戦後生まれである僕は、この時、父親が帰還できなければ、「いま、ここに……」存在しないわけである。ちなみに米軍は南大東島はあまりにも小さな島であるが故に上陸せず、沖縄本島を目指して上空を通過して行ったらしいのである。一方、母親の方は、南九州の薩摩半島が実家なので、そこに疎開し銃後の生活を送っていたわけだが、米軍は、沖縄の次には薩摩半島最南端の枕崎に上陸するという噂が絶えず、飛行機が上空に現れる度に、着の身着のまま、赤ん坊(次兄)を背負い、もう一人の子供(長兄)の手を引きながら、米軍が上陸してきたら皆殺しにされるのではないかという恐怖感から、普段は誰も立ち入らないような山奥の避難所へ隣近所の人たちに助けられながら、逃げ込むことを繰り返していたらしい。小さい頃、父や母から、寝物語のように、こういうような戦時中の苦労話を、よく聞かされたものだったが、僕にとっては遠い昔の話のような印象しかなく、最近まで、あまり深い関心を寄せることはなかった。今回、大江健三郎の『沖縄ノート』裁判の話から、『沖縄ノート』や曽野綾子の『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題)、あるいは沖縄戦史関連の書物を読むうちに、次第に、この問題は、今までのように他人事ではなく、自分自身の存在にも直結した問題であるかもしれない、と思うようになってきた。たとえば、もし、米軍が薩摩半島に上陸し、そこで地上戦が繰り広げられていたら……。おそらく僕の故郷でも、「集団自決」や「スパイ住民斬殺」なんて話も、まったくありえない話ではなかったろう。そういえば、出征中の父親の写真を、海水を浴びたらしく、黄色く変色し始めてはいたが、たとえば沖縄の戦場へ向かう輸送船か軍艦かにすずなりになっている兵隊さんたちの集合写真などを、たくさん見たことがあるが、その中にも、沖縄各地で死闘を繰り広げ、あえなく海の藻屑となっていった兵隊さんたちもいたのかもしれない。近く帰郷するので、父親のアルバムなどをもう一度、点検してみることにする。さて、個人的な思い出話はまだまだあるのだが、きりがないので、話を元に戻す。僕は、曽野綾子の『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題、ワック)を、実は、この裁判の話が広く知られるようになり、大江健三郎本人が法廷に登場し、被告として証言するという段階になつて初めて本格的に読んだ。むろん、曽野綾子『ある神話の背景』がどういう内容の本であり、どういう執筆意図を持った本であるかぐらいは、曽野綾子が「諸君!」連載していた頃から知らないわけではないが、ほとんど興味が湧かなかったので、わざわざ手にとってじっくりと読むということはなかった。それは、大江健三郎の『沖縄ノート』に対しても同様だった。僕は、流行のテーマを、われもわれもと、金魚の糞のように群れながら追いかける物書きが当時も今も嫌いである。その意味では、大江健三郎の『沖縄ノート』も曽野綾子の『ある神話の背景』も、当時は、「また沖縄か……」というわけで、僕の読書意欲の外側にあった。というわけで、今回、初めて腰を据えて、本格的に熟読したわけだが、大分時間が経過し、当時の沖縄問題という「流行」や「情勢」から切断されているが故に、冷静に読むことが出来た。とりわけ、曽野綾子の『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題)を買い求め、一ページ一ページを念入りに読んでいくうちに、実は、誰も問題にしようとしていないが、ここに看過出来ない重大問題が潜んでいることを感じ始めた。つまり曽野綾子の『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題)は、保守派の面々が、安心して聖典の如く崇め奉っているが、思想的にも学問的にも、実に問題の多い著作であるということがわかった。僕が、゛保守論壇の面々よ、曽野綾子の『ある神話の背景』を読み直せ゛と言う所以である。さて、曽野綾子の著書『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題)の問題点については、このブログでも、「罪の巨塊」という文字をめぐる「誤字・誤読問題」や、曽野綾子は現地取材や当事者へのインタビューをした上で執筆したが大江健三郎は現地取材も何もしていない、と言って大江健三郎の『沖縄ノート』の信憑性に疑問を投げかける曽野綾子的「現地取材中心主義」こそ偏見であり幻想ではないのか、など、いろいろな側面から追求、分析してきたが、ここで、もう一度、『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題)の原文テキストに戻って、問題を整理し、分析、追及してみたい。僕が、ここで、問題にしたいのは、曽野綾子の、沖縄住民への偏見と差別に満ち満ちた侮蔑的な「まなざし」である。その「まなざし」は、一方、帝国軍人への畏怖と共感と同情の「まなざし」とセットになっていることは明らかで、それが、曽野綾子の『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題)の、隠されてはいるが、見えないというわけではない、書物の背後に隠された根本的なイデオロギーとなっている。僕が、一番、驚いたのは、曽野綾子が「赤松某」の娘達について、『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題)の終わり近くで書いている、次のような文章だった。

 私は加古川で下りて、或る日赤松家を訪ねたことがあつた。赤松氏は赤松肥料店の経営者だが、家は店と別になっている。比較的新しい、明るい住居で、娘さんのように若い小柄な夫人と、二人のお嬢さんがいた。
 上のお嬢さんは関西の大学を出て、今はお勤めをしているということだった。数学が好きで、コンピューター関係の仕事をしているという。このお嬢さんが、父のことを聞いて、一時はひどく悩んだのであった。お父さんはそんな残忍な人だったのかと、学校でも居たたまれない悲しみを味わった。下のお嬢さんはまだ学校で、ギターが好きである。二人とも、のびのびした体つきで、お父さんっ子のように見える。
 私は、二人のお嬢さんに、何の返答もできる立場にいない。かりに噂が真実であつても、それに耐えて、父を愛して行くほかはないのだから、噂が嘘である場合もそれに耐えて、やはり父を愛して行ってほしい、と願うだけである。これは赤松家だけに対する答えではない。誰にも同じように答えるほかはないことだろう。

 言うまでもなく、ここには、集団自決したり、集団自決から生き残り事件の真相を証言した沖縄の住民達、あるいは赤松某や赤松隊員に、「米軍のスパイ」と見做されて、斬殺されたり、自決を強いられ、介錯を受けた沖縄の少年少女たちへ向けられた冷徹で厳しく、そして差別的、侮蔑的な「まなざし」はなく、曽野綾子ご自慢のカトリック信者らしい、聖母のごとき「赦し」と「慈愛」の「まなざし」だけがある。何故か。何故、赤松某の娘達は、「お嬢さん」と呼ばれなければならないのか。赤松某は、「自決命令」を下したか下さなかったか、という問題は別としても、少なくとも渡嘉敷島の最高司令官(守備隊長)という立場からも、集団自決やスパイ容疑による斬殺事件に対して、まったく結果責任がないとは言えないはずの「公的人物」である。赤松某は、法律的には、あるいは国家の法の前では無罪でありえても、皮肉な言い方を敢えてさせてもらうならば、「神の前では……」「無罪」ではありえないだろう。要するに、曽野綾子は現地取材や当事者への取材を繰り返したかもしれないが、あまりにも取材対象に深入りし過ぎたが故に、過剰に感情移入し、ジャーナリストとしても、文学的な表現者としても、バランスを失っているのであって、それが、沖縄の母子や、沖縄の少年少女たちの悲惨この上ない集団自決や斬殺・処刑の現場を取材しながら、最後に感情移入し、同情する対象が、赤松某の娘達の身の上であったという事実に結びついているのであろう。(続)




にほんブログ村 政治ブログへ←この記事にピーンときたら、ワン・クリック、お願いします!