文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「月刊日本」一月号。「それは曽野綾子の誤字・誤読から始まった。」


以下は、「月刊日本」1月号に掲載予定の原稿の下書きです。「曽野綾子誤字・誤読事件」を、まとめたものです。

■それは曽野綾子の誤字・誤読から始まった。
 先月もちょつと触れたが、大江健三郎の『沖縄ノート』の記述をめぐる名誉毀損裁判なるものが、大江健三郎自身が大阪地裁に被告の一人として出廷し、証言したことから論壇や文壇で話題になっているようなので、私ももう一度、政治問題としてではなく、あくまでも純粋に文学的な表現論の問題として取り上げることにする。裁判の争点は、終戦の前後に、沖縄渡嘉敷島座間味島で起こった数百名を超える現地住民の集団自決に際して、当時のそれぞれの島の守備隊長であった二人の日本帝国軍人が、「住民は自決せよ」という「軍命令」を出したかどうかということらしいが、むろんその問題も重要だろうが、私が関心を持つのは、そんなことではなく、この裁判の原告側が依拠する原典・聖典とも言うべき『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題、ワック)という本が、作家の曽野綾子の著書だという事実にある。むろん、曽野綾子自身が裁判を起こしているわけではないが、裁判の法的根拠になっているのが『ある神話の背景』であってみれば、この裁判が、大江健三郎曽野綾子の代理戦争のような様相を呈してくることは避けられない。私が、この裁判にこだわる理由もそにある。
 さて、私の立場を、あらかじめ述べておくとすれば、私は、大江健三郎を擁護する立場にある。むろん私が擁護したいのは、大江健三郎の政治思想や政治的立場ではなく、大江健三郎の文学であり、大江健三郎のテキストである。今では、すつかり珍しくなった戦後民主主義派の旗頭として「左翼護憲派」の思想的立場を一貫している大江健三郎を、私は尊敬こそすれ、決して批判したり罵倒したり、あるいは軽蔑したりする気はまつたくない。「まずは、大江健三郎を法廷の被告席に引き摺り出しただけでも大成功……」とでも言いたげに喜んでいるらしい曽野綾子保守論壇の面々の精神構造が、私にはよくわからない。それこそ保守思想や保守論壇の面汚しではないのか。
 ところで、大江健三郎の『沖縄ノート』における「名誉毀損」にあたるのではないか、と言われている記述部分は、『沖縄ノート』全体から見れば微々たるものであって、私が確認したところでは、わずか2、3ページに過ぎない。さらに、曽野綾子が、『ある神話の背景』において、大江健三郎へ言及した部分もまた、わずか2、3ページにも満たない。しかも曽野綾子は、後述するように、『沖縄ノート』を読むに際して、作家としては致命的な、決定的な「誤字・誤読」事件を引き起こしている。さらに付け加えれば、曽野綾子が、当初、『ある神話の背景』で激しく攻撃し論破したのは、大江健三郎でも大江健三郎の『沖縄ノート』でもなく、沖縄タイムス発行の『鉄の暴風』であり、沖縄の現地住民達の証言であった。しかし、元日本帝国軍人が名誉を毀損されたという理由で告訴したのは、『鉄の暴風』の著者や発行元の沖縄タイムスではなく、むろん「軍命令説」を証言した沖縄の現地住民でもなく、それらを資料として使っただけの大江健三郎であり岩波書店であった。そこには、明らかに不純な動機が見え隠れする。大江健三郎岩波書店を裁判の法廷に引きずり出し、彼等の思想的、政治的威信に傷を付けたいという保守思想家、保守論壇側の不純な動機である。私も大江健三郎岩波書店の政治思想や政治的立場には批判的だが、論争ではなく、裁判という形での批判や、論難、論破の仕方には違和感を禁じえない。
大江健三郎は、『沖縄ノート』で、何を、どう記述したか。
 では、そもそも大江健三郎は『沖縄ノート』の中で、守備隊長(赤松)についてどう書いているのか、具体的にテキストにそって見ていくことにする。というのも、実は、私がこの問題を分析調査していくうちに、気付いたことは、誰も、この裁判の起源になり、根拠になっている著書を読んでいないということだったからだ。次に引用するのは、大江健三郎が集団自決や守備隊長(赤松)について『沖縄ノート』で記述した部分である。
  ≪慶良間島においておこなわれた、七百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的に語るところによれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の「部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食料を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」という命令に発するとされている。沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生、という命題は、この血なまぐさい座間味村渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきり形をとり、それが核戦略体制のもとの今日に、そのままつらなり生きつづけているのである。生き延びて本土にかえりわれわれの間に埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が綜合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人にむかって、なぜおれひとりが自分を咎めねばならないのかね? と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。≫
  ≪「慶良間列島渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、投降勧告にきた住民はじめ数人をスパイとして処刑したことが確実であり、そのような状況下に、「命令された」集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が、戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。僕が自分の肉体の奥深いところを、息もつまるほどの力でわしづかみにされるような気分をあじわうのは、この旧守備隊長が、かつて「おりがきたら、一度渡嘉敷島にわたりたい」と語ったという記事を思い出す時である。≫
  ≪慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への欺瞞の試みを、たえずくりかえしてきたということだろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き延びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。・・・・≫(大江健三郎沖縄ノート岩波書店、1970)
 私の確認に間違いがなければ、これらが、大江健三郎が、集団自決や守備隊長(赤松)についてかなり詳しく記述した文章のほとんどすべてである。しかし、この裁判に関心を寄せる人たちの多くが、実はこの大江健三郎の文章を読んですらいない。その証拠に保守派の論客たちや弁護士さえも、曽野綾子の『沖縄ノート』に対する「誤字・誤読」をそのまま再引用している。保守論壇の思想的劣化を象徴する事件である。いずれにしろ、これらの文章からも明らかなように、大江健三郎は、用心深く「個人名」を出していない。しかも、大江健三郎は、集団自決や軍命令などを個人の責任問題としてではなく、日本人全体の自意識の問題として、あるいは日本人の倫理の問題として論じようとしている。私には、この大江健三郎の用心深い言葉の使い方から考えて、これらの文章が、守備隊長の名誉を毀損しているとは、とても思えない。解釈はいろいろ可能だろうが、もし、この程度の批判的、批評的な文章さえもが名誉毀損に値するのであるとすれば、文学活動や政治活動における言論表現活動そのものが成立しなくなる可能性すらある。一部には、個人名は出していなくても、これらの表現から誰だか容易に特定できると言う人もいるようだが、私に言わせれば、そもそも、「軍命令」を出したか、出さなかったかを議論する以前に、この守備隊長(赤松)を、倫理的に、あるいは思想的に批判・罵倒してはいけないという前提や論理そのものがおかしい。当時の渡嘉敷島という現地における実質的な最高責任者、最高司令官としての立場にあった守備隊長(赤松)は、この集団自決に対して、あるいは沖縄住民への「スパイ疑惑」による刺殺・銃殺事件等に対して、直接、命令を下していようといまいとにかかわらず、法的責任は別としても、その政治的、思想的、あるいは道義的な「結果責任」というものは免れ難いであろう。しかるに、原告である守備隊長の一人(梅澤裕)は、先日の法廷で、こう発言している。
  ≪原告側代理人―「訴訟を起こすまでにずいぶん時間がかかったが、その理由は」。梅沢さんー「資力がなかったから」。原告側代理人―「裁判で訴えたいことは」。梅沢さんー「自決命令なんか絶対に出していないということだ」。原告側代理人―「大勢の島民が亡くなったことについて、どう思うか」。梅沢さんー「気の毒だとは思うが、『死んだらいけない』と私は厳しく止めていた。責任はない」。≫
 私も、全面的な「太平洋戦争肯定論」者であり、「大東亜戦争擁護論」者の一人であるつもりだが、しかしこういう不用意な発言は、まさしく、大東亜戦争やそれに従軍した帝国軍人の名誉を傷つける、無責任な発言というものだろう、と思う。しかも彼は、「士官学校」出の職業軍人なのだ。いずれにしろ、大江健三郎を政治的に抹殺したいという曽野綾子や保守派の面々の気持ちも分からなくもないが、しかし、明らかにそれは、文学表現や思想表現、あるいは政治表現の枠を逸脱しており、やがて言論統制言論弾圧にもつながりかねない可能性と危険性を秘めている。というわけで、私は、曽野綾子や保守派の面々が仕掛けたであろう裁判闘争による「大江つぶし」の政治的謀略そのものに批判的なのである。
大江健三郎曽野綾子の対決をどう読むか。
  次に曽野綾子大江健三郎批判の記述を見ておこう。大江健三郎は、曽野綾子が自分の文章を「誤読」していると証言したらしいが、曽野綾子は「誤読」だけではなく、漢字そのものをも勘違いしたように見える。たとえば、曽野綾子は、『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題、ワック)で、次のように記述している。
  ≪「大江健三郎氏は『沖縄ノート』の中で次のように書いている。
 「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への欺瞞の試みを、たえず       くりかえしてきたということだろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨魂のまえで……(後略)」
 このような断定は私にはできぬ強いものである。「巨きい罪の巨魂」という最大級の告発の形を使うことは、私には、二つの理由から不可能である。……≫(『ある神話の背景』(『集団自決の真実』に改題)ワック)」
 この文章は、「ワツク」社発行の最新版からの引用だが、大江健三郎の『沖縄ノート』からの引用部分に漢字の大きな間違いがある。「あまりにも巨きい罪の巨魂のまえで……」と曽野綾子は『沖縄ノート』から引用しているが、これは間違いで、正確には、「あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで……」である。「巨塊」が「巨魂」となっている。校正ミスなのか、曽野綾子自身の勘違いなのかわからないが、これは決定的なミスである。文藝春秋社発行の初版本『ある神話の背景』では、正しく「巨塊」と引用されていたようだが、その後、『ある神話の背景』は他の出版社で、数回、再刊されているがその過程で、この漢字の間違いは定着していったようである。ところで、曽野綾子は、この誤字引用に加えて、さらに、大きなミスを犯している。次は、「サピオ」の対談発言の文章からである。 
  ≪決定的だったのは、大江健三郎氏がこの年刊行された著書『沖縄ノート』で、赤松隊長は「あまりに巨きい罪の巨魁」だと表現なさったんです。私は小さい時、不幸な家庭に育ったものですから、人を憎んだりする気持ちは結構知っていましたが、人を「罪の巨魁」と思ったことはない。だから罪の巨魁という人がいるのなら絶対見に行かなきゃいけないと思ったのです。≫(「SAPIO」2007/11/28)
 ここでも、間違いは「巨塊」に関係している。ここでは、曽野綾子は、「巨塊」を「巨魁」と書いている。私の読みでは、おそらく、曽野綾子は、当初から、「巨塊」(物)を「巨魁」(悪党、悪の大親分)と勘違いして解釈していたように見える。それが、≪大江健三郎氏がこの年刊行された著書『沖縄ノート』で、赤松隊長は「あまりに巨きい罪の巨魁」だと表現なさったんです。≫という表現につながっていると思われる。そしてこの「誤字」と「誤読」は、曽野綾子だけではなく、曽野綾子と立場を同じくする物書きたちにも、そのまま受け継がれている。たとえば、渡部昇一はこう書いている。≪曽野綾子さんはこれらの書籍を読んだうえで、次のようなことを述べています。「このような著書を見ると、一斉に集団自決を命じた赤松大尉を人非人、人面獣心などと書き、大江健三郎さんは『あまりに巨きい罪の巨魁』と表現しております。……」≫(「will」12月号)
 渡部昇一は、曽野綾子の「誤字・誤読」をそのまま再引用しているわけだが、これに対して、大江健三郎は、先日、大阪地裁の法廷で、被告として次のように証言している。
  ≪「罪とは『集団自決』を命じた日本軍の命令を指す。『巨塊』とは、その結果生じた多くの人の遺体を別の言葉で表したいと考えて創作した言葉」、「私は『罪の巨塊の前で、かれは…』と続けている。『罪の巨塊』というのは人を指した言葉ではない」「曽野さんには『誤読』があり、それがこの訴訟の根拠にもつながっている」・・・≫
 少なくとも、文学的表現というレベルでは、政治的立場は別としても、明らかに大江健三郎の言い分が正しい。曽野綾子は、『沖縄ノート』を読むに際して、作家としては致命的な「誤字・誤読」事件を引き起こしているわけで、今や裁判どころの話ではないだろう。これは、曽野綾子の作家生命にもかかわるような不祥事なのではないか。

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資料1(過去エントリー)
大江健三郎を擁護する。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071110/p1
■誰も読んでいない『沖縄ノート』。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071111/p1
■梅沢は、朝鮮人慰安婦と…。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p2
大江健三郎は集団自決をどう記述したか? http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p1
曽野綾子の誤読から始まった。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118
曽野綾子と宮城晴美 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071124
曽野綾子の「誤字」「誤読」の歴史を検証する。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071127
■「無名のネット・イナゴ=池田信夫君」の「恥の上塗り」発言http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071129
■「曽野綾子誤字・誤読事件」のてんまつ。曽野綾子が逃げた? http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071130
曽野綾子の「マサダ集団自決」と「沖縄集団自決」を比較することの愚かさについて。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071201
曽野綾子の「差別発言」を総括する。 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071202
曽野綾子の「誤字」は最新号(次号)で、こっそり訂正されていた(続)。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071206