文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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日本に哲学なし?

「日本に哲学なし」と言われ、それがほぼ定説になっている。この言葉の原典は、明治の思想家・中江兆民の「我日本古より今に至る迄哲学無し」「総ての病根此に在り」(『一年有半』)という言葉と言われているが、この言葉は、中江兆民の真意とは別に一人歩きして、日本的思考への批判、あるいは日本人の思想と生活への批判に安易に使われているように思われる。しかしこの言葉の意味を厳密に考えると、「日本に哲学なし」という言葉には、それほど単純ではない、かなり深い意味が込められていることがわかる。つまり、「日本に哲学なし」と言われた時の、その「哲学」とは何かという問題である。そして「日本に哲学なし」と言う言葉そのものの厳密な意味である。そもそも「日本に哲学なし」とは日本的思考の遅れや欠陥を意味するのか、それともそこにむしろ日本的思考の優越性があるのか、という問題である。あるいは、「日本に哲学なし」とすれば、では何処に哲学があるのか、欧米や中国やインドには哲学があるのか、という疑問が湧き上がるだろう。私は、おそらく、この言葉は、最初は、それほど深い意味で言われた言葉ではないだろうと、思っている。たとえば、日本人に物事を深く、厳密に考える習慣がない、とか、日本には一神教的な宗教的世界観がない、あるいは西欧的な思想体系にあたるものがない、とう程度の意味だったかもしれない。中江兆民もおそらくその程度の意味で使ったと思われる。

当初の意味はともかくとして、私は、今、「日本に哲学なし」というこの言葉をむしろ肯定的な意味に解釈したいと思う。それは、私の言葉で言い換えれば、「日本に形而上学なし」ということである。日本的思考は、しばしばいわゆる「形而上学的思考」というものを嫌悪し、排除してきた歴史がある。それを「日本に哲学なし」と言うとすれば、それはむしろ日本的思考の優越性を意味すると言い換えることができる。哲学とは形而上学ではなく、形而上学批判である。もしそうだとすれば、「日本に哲学なし」ではなく、「日本に哲学あり」ということになる。

私は、今、ここではっきりと「日本に哲学あり」と言いたいと思う。むろん、私が「日本に哲学あり」と言う時の哲学とは、「日本に哲学なし」と言う時の哲学とほぼ同意である。日本には、いわゆる「哲学」(形而上学)がないからこそ「哲学」(形而上学批判)があるということになる。つまり、日本には、形而上学としての哲学はないが、形而上学批判としての哲学はある、ということだ。
 たとえば、現代哲学の父とも言うべきドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーは、『存在と時間』の冒頭で、「われわれ現代人は存在を忘れている。」「存在を見失っている。」と言う。このハイデッガーの言葉は何を意味しているのか。私なりにこれを言い換えれば、こういうことだ。つまり、人間が存在を見失い、存在を忘却する時、人間の思考は哲学的ではなく、形而上学的になるということだ。さらに付言すれば、ハイデッガーの『存在と時間』の試みこそ、実は形而上学批判の試みだったということだ。
 すでに明らかなように、私が、「日本に哲学あり」と言う時の哲学は、ほぼハイデッガー的な意味での形而上学批判としての哲学という意味で使っているということだ。むろん、私は、ハイデッガー哲学を使って日本や日本人の思考や哲学を再発見したり、擁護しようとしているわけではない。ただ、ハイデッガーを話の導入部のダシに使っているだけである。とすれば、次に、たとえば、「日本に哲学あり」とすれば、具体的にどういうところにあるのか、という問いが発生するだろう。もっと具体的に言えば、たとえばハイデッガーのような哲学者に匹敵するような日本の哲学者は誰か、と。
 小林秀雄は、日本には、「言語の危機」に直面したような思想家が無数に存在すると言っている。これも私なりに言い換えれば、日本には無数に哲学者が存在するということだ。言語の危機、存在の危機に直面した思想家をこそ、まさしく哲学者と呼ぶべきだからだ。私は、小林秀雄もまたそういう哲学者の一人だと思う。
 しかし私が、今、ここで取り上げたいと思うのは、『葉隠』である。『葉隠』こそ、日本を代表する哲学書であると、私は思う。むろん、私が考える『葉隠』の哲学は、いわゆる新渡戸稲造の『武士道』の哲学が意味しているような、体系化された武士道の美学のようなものではない。たとえば、『葉隠』の冒頭にある「武士道とは死ぬことと見付けたり……」という有名な言葉の解釈は、如何様にも可能だろうが、しかしかなり深い哲学的思索なしには理解できない言葉だと私は思っている。要するに、私は、この言葉は、ハイデッガーの「存在」に匹敵する深みを持つ言葉だと思っている。
(■追記。この項は、拓大日本文化研究所(井尻千男所長)発行の季刊雑誌『新日本学』(http://www.tendensha.co.jp/shinnihon.html)連載予定の原稿『葉隠と哲学、あるいは葉隠の哲学』の「下書き」の一部です。草稿段階のものを随時掲載予定。)



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