文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

■野間健、わが故郷鹿児島3区で、選挙にたつ。

鹿児島に移住した野間健さんから、突然、電話があった。野間健さんは「月刊日本」に政治論文や文明論などを執筆している若手論客だが、実は若いときから政治家志望の青年で、慶応大学法学部時代は弁論部の幹事長を務めたり、卒業後は、商社勤務の後、松下政経塾に学んだり、とその方面では着々と研鑽と実績を積み重ねてきた人らしい。すでに何回か選挙も経験しているらしいが、くわしいことはわからない。僕が、野間さんを初めて知ったのは、数年前の藤井厳喜の忘年会であった。その時、たまたま話の途中で、藤井さんに紹介されて慶應の後輩らしいことはわかったが、野間さんが何をやろうとしている人かは、つい最近までわからなかった。その野間さんが、民主党公認で衆議院選挙に立候補するという。しかも、なんと、僕の生まれ育った故郷である鹿児島3区からだと言う。なんという偶然だろう。先々月、「月刊日本」主幹の南丘喜八郎さんや編集部の安田さんと、麹町の某所で飲んでいるとき、その話を聞かされ、驚くと同時に思わず興奮したのであった。高校卒業以来、郷里の人達とはほとんど縁がないので、僕には頼るべき友人や親戚は少ないが、出来ることなら、是非、協力したいと、僕は南丘さんに即座に申し出たのであった。僕もそういう話は、嫌いではないからだ。その日も、僕の話を聞いた南丘さんが野間さんに電話連絡すると、野間さんはすぐに駆けつけて来てくれた。野間さんは公認が取れ次第、近く川内に移住すると言う。川内は僕の母方の祖母の墓のあるところだ。いずれにしろ、苦戦苦難を覚悟の上で、選挙という人生最高の戦場に飛び込む野間さんには、是非、頑張ってもらいたいと思っている。野間さんはすでに鹿児島で活動を開始している。今日の電話も鹿児島からだった。僕も3月末に母の一周忌や、2月に亡くなった義姉の49日を兼ねて帰郷するので、野間さんと会う予定だ。一緒に、薩摩半島の南部(南薩)を歩いてみたい。