文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

官邸の「古賀茂明バッシング」とネット・ウヨの「古賀茂明バッシング」の相関関係。

dokuhebiniki2015-04-02


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私は、古賀茂明本人にも古賀茂明の政治思想にも関心はない。しかし、先日、テレビ画面で、古賀茂明が古館キャスターに向かって演じたバトル、つまり「報道ステーション事件」には、大いに関心がある。要するに、「古賀茂明の命懸けの闘い」は貴重である。


今、ジャーナリストも評論家、思想家、作家・・・なども、極端に軟弱になり、権力や流行に対して闘うという姿勢が消えた中にあって、古賀茂明の「テレビ局との闘い」と「官邸との闘い」「ネットウヨのとの闘い」には関心がある。公共の電波を使って公然と「闘い」を宣言する、その姿勢に感動したからである。


早速、権力や流行の走狗でしかない「ネット・ウヨ」と思しき連中からの「古賀茂明バッシング」が沸き起こっているようだが、それこそ「官邸の情報工作」の一環だろう。つまり、ネットウヨの「古賀茂明バッシング」の背後には、「官邸の情報工作チーム」がいる。


かって、右翼にしろ、左翼にしろ、権力や流行に対して、それぞれ独自のスタイルで、「闘う」という姿勢を持ち続けていた。そこに存在価値があった。私が、「保守反動」と呼ばれる文化人や学者たちに、たとえば小林秀雄三島由紀夫江藤淳、田中美知太郎・・・などに強い関心を持ったのは、「保守」とは言いながら、彼等が、権力や流行に対して闘う姿勢を持っていたからだ。


しかし、今、どういう社会構造の変化があるにせよ、ジャーナリストや評論家、学者・・・たちから、その闘う姿勢は消えている。「闘う」というより「迎合」することが基本姿勢になっている。おそらく、それが、日本の政治の地盤沈下だけではなく、ジャーナリズムや思想、学問などの地盤沈下と直結している。日本人全体の思想的堕落とも無縁ではない。



中国や韓国に対する幼児的な悪口や誹謗中傷を繰り返しているネット・ウヨを尻目に、現実は、中国や韓国がどんどん成長、発展を続け、日本を追い越していく。その現実を直視できないネット・ウヨと呼ばれる連中は、「日本は素晴らしい」「中韓の阿呆どもが・・・」とブログやツイッターで叫びつつ、時代からゴミ屑のように捨てられ、死屍累々と、死滅していくのだろう。



ヘーゲル弁証法によれば、「否定」こそ「進歩」の第一歩である。私は進歩主義者ではないが、現に、今ある状態に満足せず、それを否定するところに進歩と前進、発展がある。進歩、発展を目指すならば、「自己否定」、つまり「自虐史観」が必要だというわけだ。ということは、安倍政権や保守論壇、あるいはネット・ウヨに特有の「日本肯定論」、「自画自賛史観」こそ、「日本沈没論」だということになるのだ。


さて、菅義偉官房長官が、急遽、翁長雄志沖縄県知事と「会う」ということになったようである。菅官房長官の、あるいは安倍政権の変化は何を意味するのか?沖縄におけるデモの激化も一因だろうが、実は、これは私見だが、「古賀茂明バッシング」の当事者が、菅義偉官房長官であることから、翁長知事との会見決定と「報道ステーション事件」と無縁ではない。


菅義偉官房長官は否定したが、おそらく、菅義偉官房長官による「古賀茂明バッシング」は事実だったのだろう。



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