文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

小生は浅野史郎を応援します。正式の立候補宣言で暗愚の帝王・石原との全面対決姿勢を打ち出す。それにしてもネット右翼やネット左翼って、単純だよね。すぐアレだもんね。(笑)


結果はともかくとして、石原慎太郎という時代錯誤のピエロをこれ以上のさぼらせてはいけないのだ。そのためには、石原や石原一家、そしてその背後にいる「安倍・腐れ自民党」との全面対決姿勢を鮮明にした上で、政治生命を賭けて、命懸けで闘う人材が必要だったのだ。僕は、まさか今や宮城県知事を引退し慶応大学教授として悠悠自適の生活を送っているはずの浅野史郎が立候補にまで突進するとは思っていなかったが、土壇場に来て、急遽、乗るか反るかの真剣勝負に打って出て、反石原、打倒石原を鮮明にした立候補宣言までしてしまった浅野史郎には、驚くとともにちょっと感激した。浅野史郎と言えば、思い出すのは、浅野史郎宮城県知事選挙に立候補した頃、ちょうど僕の高校時代の級友で、同じく厚生省の官僚だったM君も、郷里の鹿児島県知事選挙の候補者として注目されていた頃のことだ。結局、M君は、立候補することなく、今は某事業団の専務理事かなんかに納まっているらしいが、その頃、M君から浅野史郎という名前を始めて聞いたことが思い出される。結局、浅野史郎宮城県知事に当選し、改革派知事としてだけではなく、全国的な政治家として注目されることになるわけだが、今回の立候補騒動を見ていると、浅野史郎は単なる官僚ではないなー、ということを強く感じる。勝ち負けを度外視して、勝負に出るべき時には出る、という大きな野心と度胸の持ち主だということがわかる。僕は、親の七光りだとか、いいとこの馬鹿息子だとか、あるいは世間知らずのマザコン野郎だとか、要するに何物なのか知らないが、最近の政治家は、知性もないが野心も度胸もない奴ばかりであると思っている。浅野史郎のような野心も度胸も、そして知性も教養もある気骨のある政治家がどんどん出てきて欲しいと思うのだ、現実はまったく逆で大勢順応、親方日の丸ののもやし政治家ばかりである。難局にぶつかると下痢ばかりしているような胃腸の弱いボンクラ総理や、減らず口をたたくしか能のない口の曲がった漫画好きのチンピラ大臣たちはさっさと消えて欲しい。彼等は、出るべき場所と就くべき職業を根本的に間違っているというしかない。それにしても民社党都連のオバケどもの百鬼夜行にはまいったね。候補者選びの過程で最初からくすぶっていた菅直人推薦の動きは、実は民主党内部の自民党系による「菅つぶし」の陰謀作戦だったらしいが、民主党都連に棲息する魑魅魍魎どもよ、陰謀作戦が見事に失敗し不発に終わってよかつたね。早くも、民主党の支援を断り、さっさと無党派勝手連スタイルで立候補宣言してしまった浅野史郎に、田中良なる都議を初めとする民主党都議会の陰謀家たちが、未練がましく、いろいろと難癖をつけながら各所で蠢いているらしいが、なんとこの田中良という都議、実は前回の都議選でも、民主党都議でありながら、民主党を裏切って堂々と石原派に寝返った「前科持ち」(笑)らしい。と書いていたら、直近の情報では民主党都議の少なくない人数が、すでに石原支持に寝返ったとか。是が非でもこの選挙で浅野史郎に勝ってもらって、こういう利権アサリの都議連中を干し上げてもらいたいものだ。いずれにしろ、小生は、男らしさは風貌と口先だけで、実際は「女々しい」、「品性下劣」な「成り上がり根性」だけが取り柄の石原慎太郎と違って、外見は凡庸だが内面的には清清しい「男気」の持ち主である浅野史郎を応援しようと思う。と言っても、僕は都民じゃないんだよなー(笑)。そこの自称左翼クン。

浅野史郎プロフィール http://www.asanoshiro.org/profile/index.htm
浅野史郎の立候補宣言 http://www.asanoshiro.org/page2.htm#p2

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2007年3月6日 出馬表明をいたしました

東京都知事選挙出馬の理由


 私、浅野史郎は、来る3月22日告示、4月8日投票の東京都知事選挙に立候補することを、ここに表明いたします。
 三期12年宮城県知事を務め、「知事業は卒業」と考えていた私が、今回の都知事選挙に立候補することを決意した最も大きな要因は、東京だけでなく、全国各地の人たちから寄せられた「石原都政はもうたくさん」という悲鳴にも似た声です。社会的弱者に対する差別発言、都政の私物化、公私混同、側近政治、恐怖政治のような教育現場など、石原都政がもたらした数々の問題点を指摘しながら、その変革を必死になって願うメールや意見に接するうちに、誰かがこういった都政を変革するために立ち上がらなければならないと思うようになりました。
 その誰かが私である必然性は感じられませんでしたが、二期目以降の石原都政の実態を詳しく知るにつれ、私の心の中のコップに水が注がれて、徐々にその量を増し、いつかコップからあふれ出すかの如き感じで、何かが変わったのです。今、ここで立ち上がり、石原都政にストップをかけなければ、東京や都民にとってだけでなく、日本の政治にとっても取り返しのつかないところまでいってしまう。そういった危機感を、私も共有するに至りました。その危機感をしっかりと受け止めて、私は、今、都知事選挙に出馬することを決意しました。
 そういった決意をしたうえで、改めて東京都政を見直してみると、未来に向けてのいくつかの課題が見えてきました。
 慶應義塾大学地方自治について、学生相手に一年間論じてきました。その中で、国と地方との関係、地方分権をいかに進めていくか、私自身が深く考えました。東京都も地方自治体です。その東京都が、地方分権を進めていく戦いの中で、必ずしも中心的役割を果たしていないのではないかということは、宮城県知事として最大限努力をしてきた中でも、私が強く感じてきたことです。最大・最強の地方自治体である東京都が、本気で立ち上がらなければなりません。他の自治体とともに、真の地方分権を進めていく体制の中で、牽引車的な役割を果たす必要があります。知事として、私はその役割を果たすべき立場を引き受けたいと考えました。
 最近、国民の間で、政治に対する無力感が募り、政治家に対する不信感、嫌悪感も顕著になっています。こういった風潮が蔓延していったら、日本はどうなるのでしょうか。現在の東京都政に疑問を感じながら、問題意識を研ぎ澄ませている人たちが、東京以外の全国各地にもいることを、今回、私に出馬を促す多数のメールなどから知りました。この国の政治のありように関して、国民の間で閉塞感がどれだけ深まっているか、そして、その突破口を求める人たちがいかに多いかを痛感しました。
 「政治をあきらめるな」ということも、私を都知事選挙出馬へと突き動かした要因です。
政治に期待したって無駄だ、政治なんて国民には変えられない、選挙にはまったく興味ない、誰が選ばれても同じだ、自分の一票では何も変わらないということを言う人も増えています。明日の天気は変えられませんが、明日の政治は変えられます。ここであきらめてはいけないのです。
 「地方自治は民主主義の学校」と慶應義塾大学の授業で言い続けてきました。学校なら、まず入学し、行動すべきです。この都知事選挙を契機に、政治は信じられる、期待していいということを、都民みんなで確認する場にしたいと強く願っています。そのことを実証するために、私はここに東京都知事選挙に出馬することを決意しました。



都政運営の基本姿勢

1.東京から新しい風を起こす
東京都政を転換することにより、この国の政治への不信感を払拭する。それによって、閉塞感に風穴を開けて、生き生きとした日本を蘇らせる。

2.人と自然にやさしい首都を創る
都政の手法として、強制、管理、抑圧といった側面を強調するような手法とは決別する。社会的に弱い立場にある人たちが、生きやすい環境を作り出す。

3.透明性のある都政、風通しのよい都政にする
情報公開こそ、都政を貫く基本姿勢であるべきもの。政策立案の過程も外から見えるようにし、都民、職員が積極的に参加する形の意思決定ができる体制に転換する。

4.納税者のお金を大切に使う
都民から預かる税金について、都民にわかりやすい説明をしながら大切に使う。都民に説明がつかないようなお金の使い方はしない。

5.都民のために、誠心誠意、全力を尽くして働く都政を確立する
都職員全員が、「公僕」の名に値する仕事ぶりになるよう徹底する。それを率いる知事本人は、全身全霊で都政に情熱を傾ける。

http://www.asanoshiro.org/page2.htm#p2

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/
nnn/20070306/20070306-00000064-nnn-pol.html



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