文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

山下聖美さんの『ニチゲー力』(三交社)の出版会で


先週、金曜日は、日芸の授業後に、池袋はホテルメトロポリタンで行われた出版会に出席してきた。というわけで、「エッセイ研究」の授業が終わると急いで駅に向かった。改札口で切符を買っていると、僕よりちょっと前から日芸の講師をしている図書新聞の井手さんに会う。久しぶりなので文壇内外の噂話をしながら一緒に池袋へ。井手さんは、この日は、これから会社へ戻らなければならないということで、池袋で別れる。さて、出版会は、日芸助手で宮沢賢治研究で有名な山下聖美さんの『ニチゲー力』(三交社)という本の出版会であった。研究者として将来の大活躍が期待される山下さんの初めての出版会ということで、なかなかの盛況ぶりで、とても楽しかった。『ニチゲー力』(三交社)は、日大芸術学部の「日芸」の「実力」を、卒業生へのインタビューを交えながらわかりやすく解説した本で、珍しい本だ。僕も、3年前から「日芸」の仲間になっているわけで、以前から「日芸パワー」を強く感じている。学生たちは予想外に大人しい感じだが、逆にそこにレベルの高さが感じられる。山下さんは、早慶を蹴って日芸に進学する人も少なくないと書いているが、なるほどそういうことなのか、と思う。指導教授の清水正さんや平岡敏夫さんが、祝辞の挨拶で、山下さんの学者としての才能と実力を力説し絶賛する。僕も、うなずきながら聞いていた。会場には面識のある人は少なかったが、新潮社の校條さんや俳人の浅沼さんの顔も。校條さんとも久しぶりだったので、本にする予定の丸山真男の話などをしていると、去年、僕の授業をとっていた女子学生が二人、近づいてくる。個人的にはほとんど口をきいたことはないが、顔も名前もよく覚えている学生たちだ。少しお酒が入っているから話しやすいのだろう。遠慮せずに気軽に、いろんなことをよく話してくれるので嬉しい。むろん、僕も同じようによく喋る。二人ともマスコミ関係への就職も決まったということで、楽しそうだったので、僕も安心する。そういえば、最近、授業に出てこない学生がたまにいるので、どうしているかとたずねてみると、まだ「就活」中ということらしい。なるほど、学生も大変だなあ、と思う。出版会は、福島泰樹さんの絶叫短歌や、反時代的な日本舞踊もどきの踊りや応援団もどき(?)のシュプレヒコールなどがあり、楽しく終わったのだが、帰りにもらったお土産(笑)の中に、「ニチゲー力」の他に山下さんの『検証・宮沢賢治の詩 「春と修羅」』が入っていたので、帰りの電車の中で読む。冒頭にこんな一文があった。《『春と修羅』は<詩>集ではない、と作者・宮沢賢治は言う。》《しかし、今までの研究史においては、『春と修羅』は作者の意図を超えて<詩>として扱われている。なぜ、このようなことになってしまったのか……(中略)。》うーん、この問いは、なかなか鋭い重大な問題提起だと言っていいだろう。それに対する山下さんの答えも面白い。《ここで私の意見を述べれば、宮沢賢治は『それまでの「詩」という固定観念で測られることを極力警戒している』だけでなく、<詩>を否定したところで、『春と修羅』を『心象スケッチ』と言ったのではないのだろうかということになる。つまり(中略)当時において<詩>と呼ばれていたもの、又は日本において<詩>と呼ばれていたものに対して、高らかな挑戦の意味が込められているのだ。」なるほど。宮沢賢治とはそういう反文学的な、反詩的な詩人だったのか。いずれにしろ山下さんの回答は、かなり本質的で、興味深い。僕は、来月までに、清水正さんの『宮沢賢治論全集』の中の栞に、短い宮沢賢治論を書くことになっているが、山下さんの論文を読んでいるうちに、何かまとまった宮沢賢治論が書けそうな気がしてきた。

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「いじめ」と「履修漏れ」キャンペーンの裏にある政治的謀略について…。


ここ数日、マスコミでは、「いじめ」と「履修漏れ」をめぐる大キャンペーンが展開されている。寝てもさめても「いじめ自殺」と「履修漏れ」である。いじめられていたという女子生徒だけではなく、弾みかどうか知らないが、何を勘違いしたのか教師や校長まで、流行に乗り遅れまいとして「イジメ自殺」(笑)する始末だ。まるで、北朝鮮の核実験問題などなかったかのような大騒ぎである……(笑)。この突然、持ち上がった「教育問題大キャンペーン」は何を意味しているのか。本気で考えなければならない問題なのか。むしろ、これは、何かを隠蔽するための、あるいは何処かへ誘導するための陽動作戦ではないのか。もし、そうだとすれば、では、敵は、なにを隠蔽し、何処へ誘導しようとしているのか。この大教育キャンペーンが意味しているものは、おそらく安倍一派の「教育改革」への地ならしだろう。そうでないとすれば、突然、こんなに教育問題が次から次へと一挙に噴出してくるはずが無かろう。マスコミが主導するキャンペーンや流行って、ほんとに怖いね。
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