文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

選挙目当ての説教ジジイどもは、成人式からさっさと消えろ!

 毎年恒例になった成人式の乱暴狼藉が、多くの日本人の期待と願望を満たすかのように、今年も立派に執り行われたようである。僕は、市長や市議会議員、三流文化人などが、くだらないお説教垂れるだけの成人式など、はじめからアホラシイと思っている。新成人たちが騒ぐのも当然であって、別に問題にする必要もない、と。彼等は、テレビや新聞が騒ぐからここぞとばかりに騒ぐのである。テレビや新聞も、そしてわれわれ一般の日本人も、成人式の騒動を期待しているのである。ああ、今年の新成人も全国各地でよく頑張ってくれたなあ、と。新成人たちの乱痴気騒ぎは一部であるという意見もある。だが、それは木を見て森を見ざるのたぐいで、問題の本質を認識していない。つまり、成人式そのものが存在意義を失って、空虚で無意味な儀式と化しているのだ。その空虚な儀式に意味を付与しているのが彼ら暴力青年団なのである。彼らを押さえつけて厳粛な成人式を行いたければ、かつて大学紛争で機動隊が導入されたように、成人式にも機動隊か軍隊でも導入して厳粛に行えばいい。しかし、今の為政者側にそれだけの度胸と根性のある人間はいない。成人式を選挙用の人気取りぐらいにしか考えない連中ばかりだ。若者たちが大騒ぎしたくなるのも当然だろう。ところで、僕自身は成人式には出席もしていない。いつ、成人式だったのかもろくに記憶していない。大学に入学したばかりで、そんなヒマはなかったと言えば嘘になるが、ほとんど興味がなかった。成人式とは中卒や高卒で田舎や親元を離れた人たちが、久しぶりに故郷へ帰り、親や親戚に囲まれてお祝いをするものだぐらいにしか思っていなかった。毎年、何回も帰郷し、親とはいつも会っていた僕には無縁のことだった。僕は大学生は成人式など無視しているものだと思っていた。だから、最近の成人式で大学生たちが勤労青年たちに混じって大騒ぎするのを見てちょっと首をかしげた。大学生や受験生にとっては大学に合格するかどうかが成人式みたいなものだろう。そこで成人式はすんでいるだろう。と、言いながら、実は親の立場から言うと、親というものはいつの時代でも子供の成人式に何らかの期待を持っているものだ、ということが最近僕にもわかってきた。「子を持って知る親の恩」とはよく言ったものだ。今、病床にある母親を思い、涙ぐむ。「親の心、子知らず」だった、と。



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1947年生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒。慶應義塾大学大学院修了。東京工業大学講師を経て、現在、埼玉大学講師。朝日カルチャー・センター(小説教室)講師。民間シンクタンク『平河サロン』常任幹事。哲学者。作家。文藝評論家。
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